贅沢とユーモア

 

確か去年の夏だったと思う。

5人で京都の鴨川の川床で軽く飲みながら料理を食べている時に1人の女の子が「みんなで寝台列車に乗りたいんだ」って言ってた。

 

他にどんな話をしたかは全然覚えてないんだけど、その言葉だけはよく覚えている。

 

列車って普通は目的地へ移動するための手段であってそれ自体が目的ではないはずだ。

でもその女の子にとっては列車に乗ることが目的であって、目的地は重要じゃないみたいだった。
素敵な女の子だと思った。

僕は詳しくないからわからないけど、その子が特別ってわけじゃなくて寝台列車に乗る人はみんなそういった思考なのかもしれないけど。

 

数年前に友人がドレスコーズの『贅沢とユーモア』という曲を紹介してくれた。

一緒に「楽しいことには贅沢かユーモアのどちらかしかないんだぜ。」ってことを教えてくれた。

確かにそうだ。

世の中の楽しいことは全て贅沢かユーモアかもしくはその両方に分類できると思う。

僕はいつだって金欠だからユーモアを働かして楽しみを見つけるのが大好きだし、そういった思考の持ち主も大好きだ。

ユーモアがある人が好きっていうより、贅沢以外の楽しみを知ってる人が好き。

 

たとえば最近この人の楽しみ方いいなって思ったのは、城を見るときは攻め込むつもりで見ると楽しいって教えてくれた友人だったり、京都に行って森見登美彦の小説に出てくる場所を巡ったって言ってた後輩だったり、漫画喫茶に行くとAVを見ながらエロ漫画を読む地元の友達だったり。

まだまだたくさんある。

 

贅沢をすれば楽しいことってたくさん出来る。

ハワイに行くこともできるし、ドンペリを飲むこともできるし、ディズニーランドのホテルにも泊まれる。

でもそれはお金さえあれば誰だってできる。

AV見ながらエロ漫画を読む楽しみを知っているのは彼と彼の周りの人間だけだ。

お金のない僕はそういった楽しさの方が価値があるんじゃないかと思ってる。

決して贅沢したくないって思ってるわけじゃなくて、できることなら思いっきり贅沢したい。

でもそれはいつか出来たらでいいなって思ってる。

 

ここで最初の女の子の話に戻る。

僕は寝台列車に乗る楽しみは贅沢ではなくて圧倒的なユーモアだと思ってる。

すごく今さらだけど僕の言っている贅沢はお金を楽しみに変えること。

寝台列車に乗るのだってお金がかかるからそれってユーモアじゃなくて贅沢なんじゃないかって思うかもしれない。

でも本来はただの移動手段である列車の中で寝るのを楽しむって発想は素晴らしいユーモアじゃないですか。

 

あと1ヶ月もすれば人生最後の夏休みが来る。

でも僕のスケジュールはスカスカだしお金もない。

楽しい夏にしたいって切実に思う。

今こそユーモアを働かせなければ。

とりあえず今思いつく夏にやりたいことは盆踊りガチ勢です。

 

最後に僕の知っている中で一番エッジの効いた贅沢とユーモアにまつわるエピソードを。

ロックンロールのパイオニアである、チャックベリーは若い頃、ポケットに分厚い札束を抱えているにもかかわらずホテルの前で車中泊をしていたらしいです。

なぜお金があるのにホテルに泊まらないのかそれは彼亡き今となってはわかりませんが、きっと彼の車の中で過ごす夜はホテルで過ごす夜なんかよりよっぽど楽しいものなのでしょう。

 

サイテーな未来へ

進むなら、よろこんで!

これがユーモア

 地獄でも、笑えるんだぜ

ドレスコーズ−『贅沢とユーモア』