資本主義ブルースドライバー

 

昨日は社会人1年目の先輩たちとお酒を飲んだ。

来年から社会に出て働く身として気になってしまうのは、やっぱり仕事の辛さとか給料とか。

いつも100円マックを食べている僕からすれば、先輩たちのボーナスの話なんかを聞くのは楽しい。

人の給料を聞くのは失礼にあたるらしいけど、優しい先輩たちだからさらっと教えてくれる。

 

当然仕事は辛いって言ってた。

夜中の3時まで説教をされた話を聞いた。

同期が仕事中に過呼吸で倒れた話も聞いた。

昼休憩の時間も休憩を取れずひたすら作業をしている話も聞いた。

3人の先輩のうち2人はもう転職する時期を決めているらしい。

なるほど、仕事が辛いとはよく聞くが本当の話だったんだ。

1つ上の先輩という僕にとって1番身近な先輩の話だから、やっぱり人ごとなんかではなくて1年後の自分の姿って感じがした。

 

でも仕事が辛いって至極当然の話だ。

それはなぜなら、人がやりたいくないことをやるからお金がもらえるからだ。

人は楽しいと感じることを自分の代わりに誰かにやってもらおうとは思わない。

ましてやそれにお金を払おうとは思うはずがない。

楽しいことは自分でやる。

逆に自分がやりたくないことはお金を払って人にやってもらう。

これが仕事でお金がもらえる理由だ。

当然やりたくないことをやり続ければ辛いし、やりたくないことを真剣に取り組むのはもっと辛い。

だからたまに仕事が楽しいなんて話を聞くと、なにか経済システム的におかしいぞと思ってしまう。

 

やりたくないことって書くのめんどくさいから以降は嫌なことって書くけど、自分でやるのが嫌なことって意味ね。

 

だから最近よく思ってしまう。

僕に嫌なことを強要するならお金をくれって。

だって日本の経済は嫌なことをみんなに振り分けることで回っている。

みんなが生きてく上でのいろいろな嫌なことを少しづつそれぞれが引き受けてその報酬としてお金をもらって、さらにそのお金で誰かに嫌なことをしてもらう。

そうやって日本、というより資本主義は回っている。

 

だから仕事以外で嫌なことをする必要なんてないんだ。

なぜなら僕やあなたがする嫌なことには経済価値があるはずだからだ。

そして仕事以外ではいつも笑ってなきゃいけないんだ。

だってお金の発生しない嫌なことは資本主義の歪だ。

歪が積み重なれば資本主義は崩れる。

資本主義は僕たちのためにあるんだ。

利潤を追求する権利は他人の利潤を阻害しない責任であるはずだ。

 

だから僕と僕の好きな人に嫌なことを強要するならお金を払えって本気で思う。

心が狭いって思われても構わない。

だって僕が資本主義と向き合って、ちゃんと自分の頭で考えて出した答えだから。

 

僕のバイト先はブラック会社だ。

バイトの僕は大したことはないんだけど、社員さんたちは毎日朝早くから来て深夜まで仕事をしている。

忙しい時期になれば1回の出勤時間が24時間を超えてしまうこともあった。

そんな姿を4年間間近で見て来た。

だから僕は覚悟ができていると自分では思っている。

辛いことを受け入れる覚悟と、それに対してお金をもらう覚悟。

僕は仕事が辛いことに対して文句を言うつもりはない。

辛いからやるんだ。

辛いことしてお金をもらうんだ。

 

でもその代わりに、タイムカードを切った後は、ネクタイを外した後は、どうか誰も僕に嫌なことをさせないでくれ。

 

僕はずっと笑い続けるんだ。

あの子と一緒にディズニーランドに行くんだ。

好きな服を着て、好きな本を読んで、好きな子のことを考えるんだ。

もう一度言うけど資本主義は僕たちのためにあるんだ。

これが僕のための資本主義だ。

 

もちろんいろんなことに目をつぶった、偏った意見だってことは分かってる。

バイトしかしたことない、ゆとり世代の幼稚な意見だってことは分かってる。

でも僕はそうやって好きな子と生きて行くつもりだ。

 

お金が愛の数値化なら、胸いっぱいのお金を稼いでやる。

 

今度飲もうねと嘘をつくのさ

 

今日は寒いですね。

あまりに寒いと僕は寒い以外の言葉を発しなくなります。

喋らなければカッコいいみたいな人いるじゃないですか?

この人は冬になるとモテる、みたいなシーズンによって魅力がますみたいなこともあるのかなって今日考えました。

僕の学科の友人の女の子は夏になると可愛くなるから、あの子はやっぱり夏はモテるのかな。

まあ僕は暑いと汗かきまくるし、寒いと語彙力が壊滅するのでシーズンモテみたいのは関係ないですけど。

 

こうも寒いと暖かいものが飲みたいです。

2年前の冬に飲んだホットワインを思い出します。

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2年前のクリスマスにサークルの同期と栄のクリスマスマーケットに参加した時です。

寒空の中飲むホットワインは甘くて暖かくて美味しかった。

僕は味覚にあまり自信がないから食べ物や飲み物の感想は美味しい、美味しくないくらいしか言えないんだけど、、えっと、美味しかったです。

 

美味しかった食べ物については話を聞くことが多いんだけど美味しかった飲み物の話については意外と聞かないなーって思った。

僕は逆に美味しかった食べ物のことはあんまり覚えてないんだけど美味しかった飲み物はよく覚えている。

そんな感じで今日は美味しかった飲み物のについて振り返ってみようと思います。

 

1番最近だと彼女と一緒に行った弾き語りのライブハウスで飲んだジントニックが美味しかったです。

僕はライブハウスやクラブではいつもジントニックを飲むんだけど、そういうところはめちゃくちゃ雑にお酒を作ります。

コップに氷とジンを入れて、片手で使えるホース状のいろんなドリンクが出るやつでトニックウォーターを入れてガシャガシャする。

当然美味しくないです。

でもそこのライブハウスではジンが見たことない種類だったし、トニックウォーターもビンに入っているやつを注文を受けてから開けて使っていました。

やっぱりこだわってるだけあって美味しかったです。

お酒ってありえないほど種類があるじゃないですか。

ジンだけでも何十種類もあるし。

僕はギルビーの安いやつしか買ったことないけど。

お酒にこだわるのはきっと楽しいと思います。

特にカクテルなんかは、数あるお酒の中から自分好みの組み合わせを見つけるわけだから一生ものの趣味にもなりそう。

 

ライブハウスの飲み物といえば、高校生の時に初めてライブハウスに行った時に飲んだウィルキンソンの辛口ジンジャエールが美味しかったです。

当時は未成年なのでおとなしくノンアルです。

飲んだことある人ならわかるけどウィルキンソンの辛口ジンジャエールは凄く辛いです。

刺激物って感じがすごくて大人の飲み物って感じがしました。

初めてのライブハウスに加えて滅多にない夜遊びでしたから、大人の階段を登っている気がしてすごくワクワクしていたのを覚えています。

そんな状況で飲んだから余計美味しく感じたんだと思います。

実際に何年かした後にコンビニで売っていたのを見つけたので飲んだんだけどあんまり美味しくなかったです。

やっぱりその時の気分で味って変わるんだなって思いました。

 

あとは1年生の時に学部の友達と熱海旅行に行った時に飲んだ焼酎のお茶割りが美味しかったです。

コンビニで買った黒霧島を旅館にあったポットで淹れた緑茶で割って飲みました。

お茶割りってあんまり美味しくない焼酎でやるものらしいです。

あんまり風味が良くない焼酎をお茶の風味でごまかすから美味しくなるらしいです。

黒霧島は当時僕が知っている中で最高の焼酎だったから、いつもお湯か水で割ってたんだけどなんとなくお茶で割って見たらすごく美味しくて「もしかして黒霧島ってあんまり美味しくないお酒なのか?」って疑い始めるレベルでした。

僕の中では一周回って今でも黒霧島は最高の焼酎ですけど。

 

他にも20歳の時に年上のお姉さんに泣かされながら飲んだロングアイランドアイスティーとか、父親に連れて行ってもらったバーで飲んだバーボンとかいろいろあるけど長くなったのでこれくらいにしておきます。

僕は別に酒好きではないんですけど、やっぱりお酒が多くなりますね。

 

タイトルはandymoriの『16』という曲の歌詞の一部です。

世界で1番多く使われている嘘は「今度飲もうね」だと思います。

 

 

『ゼロの未来』考察

 

ゼロの未来という映画を見た。

ネットではよく分からん難解映画って感想が多いらしいんだけど、僕はまあまあ自分の中で整理できた。

僕はあんまり考察とか解釈とかするの苦手なタイプだけど、まとまったのが嬉しいからとりあえず書いてみる。

 

世間になじめない天才コンピューター技師のコーエン(クリストフ・ワルツ)は、「ゼロの定理」という謎めいた数式を解くことを義務付けられ、ひとり教会にこもって定理の解明を続ける。ある日、パーティに連れていかれたコーエンは、そこで魅力的な女性ベインスリー(メラニー・ティエリー)と出会う。自分と同じく天才と呼ばれるボブ(ルーカス・ヘッジズ)との交流やベインスリーとの恋を通じて、コーエンは生きる意味を知っていくが……。(以上、映画.comより)

とりあえずあらすじ。

いま読んでみて、あれこんな映画だっけ?ってなっててさそっく不安になってるけど書いて行きましょう。

 

まずこの映画のテーマは人生の意味を問うことに意味はあるのか?というもの。

主人公のコーエンは「ゼロの定理」という謎に取り組みながら人生の意味を教えてくれる電話が掛かってくるのを待っている。

「ゼロの定理」とはおそらくブラックホールの1番奥についての定理だと思う。

ブラックホールは奥に進めば進むほど無限に収縮して行き最終的には、無限に小さな0次元に到達するって言われている。

「無限に小さな0次元=無」ってわけじゃなくて0次元という状態がそこにある。

作業用のPCが何度か「ゼロは100%でなければならない」って言っていたのはこの0という無が確かに存在するというパラドックスのことだ。

だから主人公のやっている「ゼロの定理」の解析はブラックホールの謎の解析。

 

昔MHKの『神の数式』という番組で見たんだけどブラックホールの1番奥の状態は、宇宙の始まりであるビッグバンの始まりと似ていて、ブラックホールの謎を解き明かすことが宇宙の始まりを解き明かすことに繋がるって言ってたような気がする。

つまり主人公はブラックホールの謎=宇宙の始まりを追い求めている。

 

あと主人公が待ち続けている人生の意味を教えてくれる電話について。

主人公が「ゼロの定理」に挑戦している時に電話は掛かってくるけど良く聞き取れないみたいなシーンが前半に何度かあるんだけど、後半に進むにつれていつの間にか電話はかかってこなくなる。

これは「ゼロの定理」を解くという行為と、電話に出るという行為が一体化して、解くという行為だけが残ったんだと思う。

 

つまり宇宙の始まりと人生の意味は深く関係しているということ。

ボブがブラックホールの話をしたあと「宇宙は偶然できただけだ」みたいなことを言う。

「ゼロの定理」を解き明かした時、宇宙が全くの偶然によって誕生したものという結果になれば今僕たちが生きているのもただの偶然で人生の意味など存在しないということになってしまう。

しかし宇宙の誕生に何らかの法則や神様の意図、まあ何でもいいから偶然じゃないっていう結果を見つけることができれば僕たちが生きているのも偶然なんかじゃなくてちゃんと意味があるということになる。

今までは人生の意味を教えてくれる電話を待っていただけの主人公が、「ゼロの定理」に挑戦することで人生の意味を自ら問うようになったってことかな。

ゼロ次元が見つかったとして、意味がある方のゼロ次元と意味がない方のゼロ次元のどちらかになる。

これからは有のゼロ次元と無のゼロ次元って書く。

 

途中に何度かバーチャルイチャイチャ空間が出てくる。

南国ビーチみたいな場所なんだけど映画の中で唯一の自然が出てくる場所。

それがバーチャルっていうちょっとした皮肉にもなってるんだけど。

バーチャル世界も0次元って言えなくもないよね。

だって高さも横幅もないし。

ビーチはずっと風景が変わらなかったから時間という次元もないっぽいし。

イチャイチャ空間はおそらく宇宙が全くの偶然で人生に意味がないという無のゼロ次元をあらわしている。

 

急に書くのがめんどくさくなったので、今日はここで終わります。

明日以降に続きを書きます。

 

Stay tune in 東京 Friday night

 

東京に行ってきました。

東京についてです。

とあるニュースサイトを見ると、東京の人のイメージをアンケート調査していて、結果は1位が他人に無関心、冷たいで51%、2位は急いでいる、歩くのが早いで41%という結果だったらしい。

約半数の人は東京の人に対してネガティヴなイメージがあるらしい。

 

僕も東京の人というか東京そのものに対して寂しいイメージを持っている。

東京の寂しさは地下鉄の中の寂しさに似ているかもしれない。

車両の中には多くの人がいるのにみんなが皆んな、なんのつながりも持たない他人同士のあの感じ。

両隣に座っている人に興味を向けちゃいけないあの感じ。

それが世間のいう無関心、冷たいってことなんだと思う。

 

まあこの話はこれ以上広がりがないから置いておいて。

今回東京に行ってみて1つ東京に対しての印象の変化があったからそれを書く。

 

みんな何となく東京は生きづらい街っていうイメージがあると思う。

僕もそう思っていた。

でも東京はもう生き辛い街ではないと思う。

むしろここ10年ほどで東京は現代人にとって生きやすい街になっている。

そもそも何で生きづらい街っていうイメージがあったかっていうと東京のごちゃごちゃ感が1番の原因だと思う。

言い換えると情報量が多すぎてついていけないのが原因だと思う。

電車に乗ろうとしても路線がありすぎるし、お店が多すぎてどこに入ればいいかわかんないし、あんなに都会の渋谷はまだ開発が進んでいる。

そもそもの情報量が多すぎるし、さらに日々更新されていくもんだからそりゃ疲れるよね。

情報をうまく処理できないとあそこに行きたいのにどの電車に乗ればいいかわからない。

あれが食べたいのにどこにいけば食べられるのか分からない。とか困ってしまう。

でも、ここまでは10年前までの話。

 

今はスマホがあるじゃん。

どの電車に乗ればいいか一瞬でわかるし、食べたい物は検索すれば美味しい店を教えてくれる。

僕たちは田舎者2人だったけどスマホのおかげで乗る電車を間違えることはなかった。

 

情報をきちんと扱うことができれば、東京ほど楽しい街はないと思う。

池袋には自販機が12個並んでいる場所がある。

最初に見たときはびっくりした。

それだけあれば絶対に自分の探していたジュースがあると思う。

そんな感じで東京には生きていくために必要なものは全部揃っている。

遊ぶ場所は豊富だし、東京に売っていないものはないし、1分おきに電車はくるし。

これがしたい、あれが欲しい、って思った時に全部条件が揃っているのはやっぱり楽しいと思う。

 

でもやっぱり物価の高さはネックだから、今東京で暮らしていくために必要なのは自分が納得するだけのお金と、十分なデータ通信量かな。

その2つがあれば東京は住みやすい街なはず。

って、東京に一度行っただけの田舎者が考察しています。

むしろ今はネット環境が整っていなかったり、情報の更新が遅れているような田舎の方が暮らしづらいんじゃないかな。

そもそも必要なものが手に入らなかったりするし。

 

人の多さによる住みづらさはまだ残っているけど、それもきっとそのうちスマホがなんとかしてくれるでしょう。

 

スティーブ・ジョブズまじリスペクト。

 

ぜんぜん関係ないけど僕の友達はスティーブ・ジョブズが死んでから2年くらいiPhoneのアップデートを頑なに拒んでたな。

 

あいつは東京に住むことになったらすぐ死にそうだな。 

僕たちはどう生きるべきか

 

久しぶりに書こうと思う。約半月ほど空いてしまった。

別に書かないという意思、思考があったわけじゃなくて気がついたら半月の時間が空いていた。

半月の間に禁煙を始めたり、後輩たちと映画を見たり、一人でたくさん映画を見たり、大好きな彼女と東京に行ったりした。

その間に思ったこと考えてたことってたぶん多くは忘れてしまう気がするからやっぱり全部書いて残しておかなきゃなって思う。

もしかしたら面白いこととか役に立つこととか、わすれたらもったいないことも考えているかもしれないからね。

 

とりあえず今から書くことはここしばらく考えていたこと。

ごちゃごちゃ考えてて上手くまとまらないから書くことでスッキリさせよう。

タイトルにもある通り僕たちはどう生きるべきか。

すごく大それたタイトルだけど、そんなに大したことは書かないし、確信めいたことも書かない。

長々と普通のことを書きます。

 

まず「僕たち」について。

「僕たち」の代表はひとまず僕。

ヤンキーでもない、ガリ勉でもない、オタクでもない、チャラ男でもない、スポーツマンでもない、、、

ようは自分自身を一言で表すような性格を持ち合わせておらず、〜ではない何か。

それが僕。

そんな僕のような人を僕は「僕たち」と呼ぶ。

こういう人ってかなり多いんじゃないかな。

こんなブログを読むような人はみんな「僕たち」だと勝手に思っているけど。

 

なんとなく僕たちって生きるには自分が不甲斐ない。

ヤンキーだったら男を磨くことに生きがいを見出せばいいし、オタクだったら好きなアニメのために生きて行けばいいし、ガリ勉なら知識欲のために生きて行けばいい。

でもそういった人生を捧げるための何かを持っていない僕たちっていったい何のために生きていくのだろう。

まあ結局はみんな幸せになるために生きてるんだと思うけど、僕たちはどう生きれば幸せになるのだろう。

今日は天気がいいから幸せ。

布団で寝られれば幸せ。

とかいろいろあると思うんだけど僕の言いたいのはそういう刹那的な、なんかラッキー的な幸せじゃなくて、生きていくための幸せのこと。

天気に自分の生を任せるなんて馬鹿らしいし、僕らは布団で寝るために生きてるわけじゃない。

僕はこのために生きていく、なぜならそれが僕の幸せだから。っていう順番の方が分かりやすいかな。

ちょっと上手く説明出来ないな。

 

そうやって考えた時にやっぱり僕らは好きな人のために生きていくしかないんじゃないかって思う。

生きていくための何かを自分自信に見いだすことが出来ない僕たちは、自分以外の人に頼るしかない。

それを弱さと言われたらそれまでだけど、愛ってことにしとけばなんだか聞こえがいいし、なぜ人々が愛し合うのか、そして結婚するのか分かるような気がする。

見返りを求めない好意が愛だって言う意見をたまに聞くけど決してそんなことはなくて、生きていくための幸せをもらうことを愛って言うんだと思う。

 

じゃあ結論。

僕たちは誰かと愛し合うために生きていくのです。

なんてありきたりな結論でこの文章は終わり。

久しぶりの文章にしては愛とか書いちゃっておめでたい文章になってしまったけど、今の僕は本気でそう思っているからいいんだ。

 

ここからは余談です。

最初にちょっと書いたけど彼女と東京に行ってきた。

当たり前だけど朝も夜もずっと一緒にいた。

今までたくさんの時間を共有してきたけど、生活を共有したのはこれが初めてだと思う。

言うまでもなくそれはそれは幸せだった。

可愛い歳月を君と暮らせたらなってバカみたいなこと考えちゃうくらい。

僕は明るい未来予想図を描くのが苦手だから先のことはあまり考えないようにしているけど、たまにはね。

 

最後に毛皮のマリーズの『欲望』という歌詞をのせる。

最高なので全部のせる。

 

では本当に終わります。

 次は東京について思ったことを書こうかな。

 

夢から覚めた今もまだ 僕の目は覚めないままだ
僕はひとりで ささやかに 人生をかわいがる

 

さあ 灯りを灯して夜を更かそう
世界と同じこの部屋で僕も今 生きている
月の光 おおかみと私のもの
太陽はあのコのように 世界を正しく照らせ

 

なにがまちがってるもんか 他になにがいるもんか
夢から覚めた今もまだ 僕の目は覚めないままだ

 

ああ 悲しい夢もみたね 過ちだってあったかも
だけど 僕たちはこんなにもすこやかだ うつくしー!
そう 全て分かち合おう 全てを手に入れよう
なにも捨てず、なにもあきらめず 僕らは年をとろうよ

 

おはよう(おはよう) あいしてる(あいしてる)
おやすみ(おやすみ) もう離さない(離さない)

夢から覚めた今もまだ 僕の目は覚めないままだ

 

世界は 今も夜明け前 大丈夫 大丈夫
ずっとずっと ふたりでいよう 大丈夫 大丈夫

                            毛皮のマリーズ〜欲望〜

正しくないけど不正じゃない

 

最近なんだか引用の少ない人生になってきたなあって思う。

ブログを書き始めて約7ヶ月。

久しぶりに今まで書いた文章を読み返してみたんだけど、最近の文章は少し変わってきたなって思う。

それはいい意味で。

 

今までの文章はなんだか必死に背伸びをして、自分の考えの正しさを確かめるために誰かの言葉を借りているような感じがする。

それが悪いわけじゃないんだけど、正しいことを言おうとへんに力んでいてあんまり生活感がないというか、本当の意味で自分の頭で考えていないように思えてしまう。

 

でも最近は力も抜けてきて生活の中から得た確かな実感を言葉にできているような気がする。

誰かの言葉、誰かの考えじゃなくて自分の言葉と考えを文章にできていると思う。

これは別に文章だけが変わったわけじゃなくて僕の生活というか生き方そのものが変わったんだと思う。

 

たぶん、その理由は就活が終わったこと。

就活中はよく「自分はいったい何者なのか」という悩み、問いを耳にした。

僕は就活とは成果を出すことが全てで、そんなことを悩んでいるのは時間の無駄だし、必要ないと考えていたので「自分はこうゆう人間だ」と決めつけてスーツを着ている時だけはその人格を全うしよと考えた。

実際にその通りに就活をして内定をもらった。

まわりの人間には「20年も生きていれば自分のことなんて分かるよ」って言っていたな。

実際には何にも分かっていないのに。

 

就職活動には僕なりのコツがあった。

優先順位を「常識≧自分の考え」にすること。

常識とは目に見えない正しさのこと。

常識からはみ出ることなく自分の意見を言うことが大切。

例えば就活における模範解答はいろんなところで教えてもらえる。

ネットを調べれば正しいエントリーシートの書き方もわかるし、面接の受け答えなんかも大学で教えてもらえる。

その通りに受け答えするのは誰でもできるから個性がなくなってしまう。

常識からはみ出ることなく自分の意見を言うのは別解を示すのに近いかもしれない。

模範解答と結論は同じだけど算出過程が違う。

その作業は模範解答を導き出すより強く正解を意識しなければならない。

 

僕は就活が得意な人間だった。

でもそれはけん玉が得意ってのと何が違うんだ。

就活が得意なのと人間的魅力は一切の関係がない。

だからさっさとスーツと一緒に就活をしていた時の意識を脱ぎ捨てなきゃいけなかったんだ。

僕は結局何ヶ月もスーツを着たままだった。

だから僕の書く文章はなんだか正しさばかりを意識した面白くない文章になっていたんだ。

 

理論武装」という言葉がある。
自分の立場や主張を他人の批判から守るために、さまざまな理論を準備しておくことだ。

正しさを持たないことは心ぼそい。

正しさを求めることは正しいことだ。

 

でもそんなのつまらないじゃない。

正しさというネクタイを締めたままじゃ息苦しいよ。

正しさで角ばった言葉なんかより自分の頭で考えた言葉が聞きたいよ。

「正しい」の反対の意を持つ言葉は「不正」じゃない。

「正しくない」でなければならない。

 

昨日『ダークナイト』を見ていたら、字幕では「銃を準備しろ‼︎」って表示されているのに役者は「Rock&Roll‼︎」って言っていた。

僕は面白いと思う。

正しくないけど不正じゃない言葉。

 

この前久しぶりに学科の友人と会ってご飯を食べた。

「卒業してもまたみんなで集まろう」って話をした。

でも僕はバラバラになった僕らが全員で集まることは二度とないだろうなって皮膚感覚で分かっていた。

そこで正しにこだわって「いや、卒業してしまったらみんなで集まるのは厳しいよ。」って言うことになんの意味があるのだ。

「その時は奥さん連れてくわ!」って嘘ついて答えた方が面白いじゃん。

 

正しさと正しくなさの間にユーモアが生まれて、そのユーモアにその人の思考や言葉があるんだ。

だから面白いんだ。

 

なんてちょっと尖った文章を書いているのは、ダークナイトジョーカーと時計じかけのオレンジのアレックスに当てられたからです。

彼らの正しくない感じがすごくかっこよかった。

 

書くこともなくなってきたのでそろそろ終わります。

 色々書いたけど清く正しく生きていくことも大切です。

色々書いたけど。

 

Rock&Roll‼︎(読んでくださり有り難うございます。)

 

 

正しいも正しくないも意味はないのさ

君はすてきだ!困った顔がよく似合う

                                            ふくろうず〜ごめんね〜

 

 

 

オレたち花のDS組②

 

かなり間が空いてしまったけれどバイトの休憩で暇なので続きを書きます。

 

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『ザ ・アーブス・シムズ・イン・ザ・シティ』というゲームです。

いつも通りアマゾンから製品紹介をコピー。

キャラクターを操作して、様々なミッションをクリアしていくアドベンチャーゲームです。
冒険の舞台は、大都会ミニオポリス。プレイヤーは、ひょんなことから裏社会の黒幕の計画を知ってしまい、職を失うことに。生活の立て直しを図るため、仕事でレベルアップしたり、街の住人達の依頼をこなすなどの努力を積み重ね、街での評判を高めていき、最終的に街一番の有名人になることが目標です。

 

これだけ読んだだけですごく面白そうだなって思う。

久しぶりにこのゲームをすこしだけプレーしてみたけど、相変わらずぶっ飛んでる。

開始30分ぐらいで主人公が捕まって牢屋にぶち込まれる。

牢屋越しに看守と会話しまくって、ご機嫌をとって釈放してもらうところから始めなきゃいけない。

こんなゲーム他にないでしょ。

ミニオポリスっていう街が舞台なんだけど、街にはたくさんの人がいて、彼らと会話して仲良くなるとミッションを依頼される。

ミッションの内容も変わっていて、女の子とデートをして楽しませるとか、〜に嫌がらせをしろとか、バイクのレースで優勝するとかギスギスしてないのが多い。

 

このゲームの面白いところが住民がみんな何らかのグループに所属しているところ。

たとえばオタク系、ストリート系、アート系とか。

アート系の人は美術館とかコーヒーの話はウケるんだけど、スポーツの話とかすると嫌がられる。

だから会話するときは相手がどんなグループなのか考えて会話をしなきゃいけない。

筋トレしまくってムキムキになってからじゃないと、ストリート系の人はミッションを依頼してくれないとかある。

主人公もグループ分けされるんだけど、ゲーム開始時の簡単なアンケートで何系なのかが決まる。

僕はもちろんオタク系でした。

 

もう1つの特徴として面白いのが、睡眠や食事、トイレなどたくさんパラメータがあること。

睡眠のパラメータがなくなるとぶっ倒れるし、トイレのパラメータがなくなるとその辺で漏らす、そうなると衛生のパラメータがなくなってシャワーを浴びないと誰とも会話できなくなる。

どれかおろそかにするとミッションが進まないし、バイトもできない。

生理的なパラメータだけではなくて、最低限人と会話をしなかったり、筋トレや研究ばかりして娯楽をおろそかにするとやる気がなくなったり塞ぎ込んだりする。

それが結構リアルで昔はこのパラメータがめんどくさかったんだけど、今なら睡眠と同じくらい会話も大事だよなあって思わされる。

生理的なパラメータを満たすために家を持てるんだけど、お金持ちになればいい物件に引越せるしいい家具も買えるっていうお金の大事さまで教えてくれる。

僕はお金がなくてボロい家にボロい家具を置いて生活してたんだけど、防犯設備にお金をかけなかったせいで泥棒に入られてシャワーを盗まれた。

シャワーを盗むってすごい根性だな。

新しくシャワーを買うお金がなかったらひたすら蛇口で手を洗って衛生のパラメータを保っていた。

とうぜん手を洗うだけじゃ少ししかパラメータが回復しないから1日に何時間も洗ってたなあ。

 

このゲームはアメリカのエレクトロニクアーツ社が作ったんだけど、アメリカンなユーモアが豊富でそこも楽しい。

スケボーで街を駆け回ったり、ストリートバスケでお金を稼いだり、果物を積んできてスムージを作ったり。

 

実生活において必要不可欠なことをリアルに描くことで、社会の厳しさを教えてくれる素敵なゲームです。

ゲームが進んで行くと「走っては行けない」っいう法律が制定されて本当に走ったら牢屋にぶち込まれるのも好き。

おそらく悪法も法であるという哲学を教えてくれているんだと思います。

まぁエレクトロニカアーツはノリだけでゲームを作っている気がするから、絶対意図してないけど。

 

今のミッションは美術館の展示物を買うことと、館長をやってくれる人を探すこと。

とりあえず家でしっかり寝て、トイレとシャワーを済ませてからミッションに取り掛かろうかな。