『ヒミズ』『生きてるだけで、愛』
小さい頃は 神様がいて
不思議に夢を かなえてくれた松任谷由実『やしさに包まれたなら」
1年ほど前に映画は見ていたので、映画とのラストの違いに驚いた。
漫画の『ヒミズ』には主人公にしか見えない化け物のような生き物がちょくちょく登場する。
自分にしか見えない何かが見えているっていう状況は漫画や映画でよくあると思う。
おやすみプンプンではプンプンにはずっと神様が見えていたし、ジョゼと虎と魚たちでは、ジョゼには深海魚のような魚が見えていた。
そういった自分にしか見えない不思議なもの、以降〈化け物〉と表記しようと思う。
冒頭に載せた松任谷由実の曲みたいに小さな頃にその幼さゆえに何かが見えてしまうなんて生易しいものではなくて、ある程度社会の常識や自意識が固まり始めた人間にとってそんな物が見えてしまうのは辛いことなんだと思う。
僕はフィクションの世界ではなく、〈化け物〉が見えてしまう人が実在しているのかどうか分からない。
でも漫画や映画に出てくる〈化け物〉はきっと他人には決して理解してもらえない自分の心理や思考を具現化したものなんじゃないかと思う。
たとえば僕は昔、給食に出てくる春巻きの裏側がふやけてグニグニしてるのを見るのがなぜか恐ろしかった。
それを友達に話しても首をひねるばかりだった。
そういったとにかく他人には理解できない何かが〈化け物〉なんだと思う。
それなら〈化け物〉を抱えている人は少なからずいるんじゃないかな。
本谷有希子の『生きているだけで、愛』という小説がある。
主人公である寧子が〈化け物〉を抱えていることを告白するシーンがいくつかある。
他の人はなんでもないことのように朝起きて夜寝るっていうのに、自分にとってはそれがまるで無理難題みたいに立ちはだかって意味が分からない。日が出ているうちに起きる。たったそれだけのことがなんでできないんだ? 自分は本当にみんなと同じ生き物なんだろうか? あたしには何が欠落している?
「お前がみんなと同じふりをしてまぎれていることは分かってるぞ。」と警告されているんじゃないかと錯覚することがある。
寧子はいわゆるメンヘラという類の女の子だ。
ちょっとしたことで死にたくなるし、ちょっとしたことが原因で奇行にはしる。
情緒不安定で躁鬱病だ。
他人のように生きていくことができないが、1人で生きていくこともできない。
自分でも自分のことが分からないけれど、誰かに自分のことをわかってほしい。
この小説はそんな寧子の苦悩、〈化け物〉との向のき合い方を描いた傑作小説だ。
物語の終盤に彼氏である津奈木に対しての寧子の叫びが見事なので一部を引用する。
あんたが別れたかったら別れてもいいけど、あたしはさ、あたしとは別れられないんだよね一生。うちの母親は今でもたぶん雨降ったら寝てると思うし、あたしだってこんなふうに産まれちゃったんだから死ぬまでずっとこんな感じで、それはもうあきらめるしかないんだよね?
あきらめなきゃ駄目なんだよね?
いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ。
あたしはもう一生、誰に分かられなくったっていいから、あんたにこの光景の五千分の一秒を覚えてもらいたい。
生きてるだけ、それはつまり自分が自分であること。
誰かのための自分ではなく、誰かから見た自分でもなく、完璧な一人称の自分。
愛されるために何かをするわけではなく、愛するために何かをしてあげるのではなく、相手の〈化け物〉を理解してあげるわけではなく、ただただ肯定し、受け止めてあげる。
つまり生きてるだけで、愛なのだ。
本谷有希子の考える新しい愛の形。
昔サークルの先輩が「今の彼氏はきっと私が動かなくなって、ただ息を吸って吐くだけの存在になっても愛してくれる」って言っていたのを思い出した。
言葉通りの生きてるだけで愛の究極の形を体現していた。
ネタバレするけどヒミズの漫画と映画のラストシーンの違いは、最後に主人公が自殺するかしないかの違い。
漫画の最後に自分で頭を撃ち抜く主人公は最高にカッコよかったけど、映画の最後のヒロインと一緒に走って自首しに行くシーンも最高だった。
まさに生きてるだけで愛って感じがした。
ちょっとダラダラ書きすぎた感あるし、うまくまとめられないし、言いたいことは全部言えたのでこれで終わります。
『ヒミズ』『生きてるだけで、愛』は僕の大好きな作品で、とてもオススメです。