『ゼロの未来』考察

 

ゼロの未来という映画を見た。

ネットではよく分からん難解映画って感想が多いらしいんだけど、僕はまあまあ自分の中で整理できた。

僕はあんまり考察とか解釈とかするの苦手なタイプだけど、まとまったのが嬉しいからとりあえず書いてみる。

 

世間になじめない天才コンピューター技師のコーエン(クリストフ・ワルツ)は、「ゼロの定理」という謎めいた数式を解くことを義務付けられ、ひとり教会にこもって定理の解明を続ける。ある日、パーティに連れていかれたコーエンは、そこで魅力的な女性ベインスリー(メラニー・ティエリー)と出会う。自分と同じく天才と呼ばれるボブ(ルーカス・ヘッジズ)との交流やベインスリーとの恋を通じて、コーエンは生きる意味を知っていくが……。(以上、映画.comより)

とりあえずあらすじ。

いま読んでみて、あれこんな映画だっけ?ってなっててさそっく不安になってるけど書いて行きましょう。

 

まずこの映画のテーマは人生の意味を問うことに意味はあるのか?というもの。

主人公のコーエンは「ゼロの定理」という謎に取り組みながら人生の意味を教えてくれる電話が掛かってくるのを待っている。

「ゼロの定理」とはおそらくブラックホールの1番奥についての定理だと思う。

ブラックホールは奥に進めば進むほど無限に収縮して行き最終的には、無限に小さな0次元に到達するって言われている。

「無限に小さな0次元=無」ってわけじゃなくて0次元という状態がそこにある。

作業用のPCが何度か「ゼロは100%でなければならない」って言っていたのはこの0という無が確かに存在するというパラドックスのことだ。

だから主人公のやっている「ゼロの定理」の解析はブラックホールの謎の解析。

 

昔MHKの『神の数式』という番組で見たんだけどブラックホールの1番奥の状態は、宇宙の始まりであるビッグバンの始まりと似ていて、ブラックホールの謎を解き明かすことが宇宙の始まりを解き明かすことに繋がるって言ってたような気がする。

つまり主人公はブラックホールの謎=宇宙の始まりを追い求めている。

 

あと主人公が待ち続けている人生の意味を教えてくれる電話について。

主人公が「ゼロの定理」に挑戦している時に電話は掛かってくるけど良く聞き取れないみたいなシーンが前半に何度かあるんだけど、後半に進むにつれていつの間にか電話はかかってこなくなる。

これは「ゼロの定理」を解くという行為と、電話に出るという行為が一体化して、解くという行為だけが残ったんだと思う。

 

つまり宇宙の始まりと人生の意味は深く関係しているということ。

ボブがブラックホールの話をしたあと「宇宙は偶然できただけだ」みたいなことを言う。

「ゼロの定理」を解き明かした時、宇宙が全くの偶然によって誕生したものという結果になれば今僕たちが生きているのもただの偶然で人生の意味など存在しないということになってしまう。

しかし宇宙の誕生に何らかの法則や神様の意図、まあ何でもいいから偶然じゃないっていう結果を見つけることができれば僕たちが生きているのも偶然なんかじゃなくてちゃんと意味があるということになる。

今までは人生の意味を教えてくれる電話を待っていただけの主人公が、「ゼロの定理」に挑戦することで人生の意味を自ら問うようになったってことかな。

ゼロ次元が見つかったとして、意味がある方のゼロ次元と意味がない方のゼロ次元のどちらかになる。

これからは有のゼロ次元と無のゼロ次元って書く。

 

途中に何度かバーチャルイチャイチャ空間が出てくる。

南国ビーチみたいな場所なんだけど映画の中で唯一の自然が出てくる場所。

それがバーチャルっていうちょっとした皮肉にもなってるんだけど。

バーチャル世界も0次元って言えなくもないよね。

だって高さも横幅もないし。

ビーチはずっと風景が変わらなかったから時間という次元もないっぽいし。

イチャイチャ空間はおそらく宇宙が全くの偶然で人生に意味がないという無のゼロ次元をあらわしている。

 

急に書くのがめんどくさくなったので、今日はここで終わります。

明日以降に続きを書きます。

 

Stay tune in 東京 Friday night

 

東京に行ってきました。

東京についてです。

とあるニュースサイトを見ると、東京の人のイメージをアンケート調査していて、結果は1位が他人に無関心、冷たいで51%、2位は急いでいる、歩くのが早いで41%という結果だったらしい。

約半数の人は東京の人に対してネガティヴなイメージがあるらしい。

 

僕も東京の人というか東京そのものに対して寂しいイメージを持っている。

東京の寂しさは地下鉄の中の寂しさに似ているかもしれない。

車両の中には多くの人がいるのにみんなが皆んな、なんのつながりも持たない他人同士のあの感じ。

両隣に座っている人に興味を向けちゃいけないあの感じ。

それが世間のいう無関心、冷たいってことなんだと思う。

 

まあこの話はこれ以上広がりがないから置いておいて。

今回東京に行ってみて1つ東京に対しての印象の変化があったからそれを書く。

 

みんな何となく東京は生きづらい街っていうイメージがあると思う。

僕もそう思っていた。

でも東京はもう生き辛い街ではないと思う。

むしろここ10年ほどで東京は現代人にとって生きやすい街になっている。

そもそも何で生きづらい街っていうイメージがあったかっていうと東京のごちゃごちゃ感が1番の原因だと思う。

言い換えると情報量が多すぎてついていけないのが原因だと思う。

電車に乗ろうとしても路線がありすぎるし、お店が多すぎてどこに入ればいいかわかんないし、あんなに都会の渋谷はまだ開発が進んでいる。

そもそもの情報量が多すぎるし、さらに日々更新されていくもんだからそりゃ疲れるよね。

情報をうまく処理できないとあそこに行きたいのにどの電車に乗ればいいかわからない。

あれが食べたいのにどこにいけば食べられるのか分からない。とか困ってしまう。

でも、ここまでは10年前までの話。

 

今はスマホがあるじゃん。

どの電車に乗ればいいか一瞬でわかるし、食べたい物は検索すれば美味しい店を教えてくれる。

僕たちは田舎者2人だったけどスマホのおかげで乗る電車を間違えることはなかった。

 

情報をきちんと扱うことができれば、東京ほど楽しい街はないと思う。

池袋には自販機が12個並んでいる場所がある。

最初に見たときはびっくりした。

それだけあれば絶対に自分の探していたジュースがあると思う。

そんな感じで東京には生きていくために必要なものは全部揃っている。

遊ぶ場所は豊富だし、東京に売っていないものはないし、1分おきに電車はくるし。

これがしたい、あれが欲しい、って思った時に全部条件が揃っているのはやっぱり楽しいと思う。

 

でもやっぱり物価の高さはネックだから、今東京で暮らしていくために必要なのは自分が納得するだけのお金と、十分なデータ通信量かな。

その2つがあれば東京は住みやすい街なはず。

って、東京に一度行っただけの田舎者が考察しています。

むしろ今はネット環境が整っていなかったり、情報の更新が遅れているような田舎の方が暮らしづらいんじゃないかな。

そもそも必要なものが手に入らなかったりするし。

 

人の多さによる住みづらさはまだ残っているけど、それもきっとそのうちスマホがなんとかしてくれるでしょう。

 

スティーブ・ジョブズまじリスペクト。

 

ぜんぜん関係ないけど僕の友達はスティーブ・ジョブズが死んでから2年くらいiPhoneのアップデートを頑なに拒んでたな。

 

あいつは東京に住むことになったらすぐ死にそうだな。 

僕たちはどう生きるべきか

 

久しぶりに書こうと思う。約半月ほど空いてしまった。

別に書かないという意思、思考があったわけじゃなくて気がついたら半月の時間が空いていた。

半月の間に禁煙を始めたり、後輩たちと映画を見たり、一人でたくさん映画を見たり、大好きな彼女と東京に行ったりした。

その間に思ったこと考えてたことってたぶん多くは忘れてしまう気がするからやっぱり全部書いて残しておかなきゃなって思う。

もしかしたら面白いこととか役に立つこととか、わすれたらもったいないことも考えているかもしれないからね。

 

とりあえず今から書くことはここしばらく考えていたこと。

ごちゃごちゃ考えてて上手くまとまらないから書くことでスッキリさせよう。

タイトルにもある通り僕たちはどう生きるべきか。

すごく大それたタイトルだけど、そんなに大したことは書かないし、確信めいたことも書かない。

長々と普通のことを書きます。

 

まず「僕たち」について。

「僕たち」の代表はひとまず僕。

ヤンキーでもない、ガリ勉でもない、オタクでもない、チャラ男でもない、スポーツマンでもない、、、

ようは自分自身を一言で表すような性格を持ち合わせておらず、〜ではない何か。

それが僕。

そんな僕のような人を僕は「僕たち」と呼ぶ。

こういう人ってかなり多いんじゃないかな。

こんなブログを読むような人はみんな「僕たち」だと勝手に思っているけど。

 

なんとなく僕たちって生きるには自分が不甲斐ない。

ヤンキーだったら男を磨くことに生きがいを見出せばいいし、オタクだったら好きなアニメのために生きて行けばいいし、ガリ勉なら知識欲のために生きて行けばいい。

でもそういった人生を捧げるための何かを持っていない僕たちっていったい何のために生きていくのだろう。

まあ結局はみんな幸せになるために生きてるんだと思うけど、僕たちはどう生きれば幸せになるのだろう。

今日は天気がいいから幸せ。

布団で寝られれば幸せ。

とかいろいろあると思うんだけど僕の言いたいのはそういう刹那的な、なんかラッキー的な幸せじゃなくて、生きていくための幸せのこと。

天気に自分の生を任せるなんて馬鹿らしいし、僕らは布団で寝るために生きてるわけじゃない。

僕はこのために生きていく、なぜならそれが僕の幸せだから。っていう順番の方が分かりやすいかな。

ちょっと上手く説明出来ないな。

 

そうやって考えた時にやっぱり僕らは好きな人のために生きていくしかないんじゃないかって思う。

生きていくための何かを自分自信に見いだすことが出来ない僕たちは、自分以外の人に頼るしかない。

それを弱さと言われたらそれまでだけど、愛ってことにしとけばなんだか聞こえがいいし、なぜ人々が愛し合うのか、そして結婚するのか分かるような気がする。

見返りを求めない好意が愛だって言う意見をたまに聞くけど決してそんなことはなくて、生きていくための幸せをもらうことを愛って言うんだと思う。

 

じゃあ結論。

僕たちは誰かと愛し合うために生きていくのです。

なんてありきたりな結論でこの文章は終わり。

久しぶりの文章にしては愛とか書いちゃっておめでたい文章になってしまったけど、今の僕は本気でそう思っているからいいんだ。

 

ここからは余談です。

最初にちょっと書いたけど彼女と東京に行ってきた。

当たり前だけど朝も夜もずっと一緒にいた。

今までたくさんの時間を共有してきたけど、生活を共有したのはこれが初めてだと思う。

言うまでもなくそれはそれは幸せだった。

可愛い歳月を君と暮らせたらなってバカみたいなこと考えちゃうくらい。

僕は明るい未来予想図を描くのが苦手だから先のことはあまり考えないようにしているけど、たまにはね。

 

最後に毛皮のマリーズの『欲望』という歌詞をのせる。

最高なので全部のせる。

 

では本当に終わります。

 次は東京について思ったことを書こうかな。

 

夢から覚めた今もまだ 僕の目は覚めないままだ
僕はひとりで ささやかに 人生をかわいがる

 

さあ 灯りを灯して夜を更かそう
世界と同じこの部屋で僕も今 生きている
月の光 おおかみと私のもの
太陽はあのコのように 世界を正しく照らせ

 

なにがまちがってるもんか 他になにがいるもんか
夢から覚めた今もまだ 僕の目は覚めないままだ

 

ああ 悲しい夢もみたね 過ちだってあったかも
だけど 僕たちはこんなにもすこやかだ うつくしー!
そう 全て分かち合おう 全てを手に入れよう
なにも捨てず、なにもあきらめず 僕らは年をとろうよ

 

おはよう(おはよう) あいしてる(あいしてる)
おやすみ(おやすみ) もう離さない(離さない)

夢から覚めた今もまだ 僕の目は覚めないままだ

 

世界は 今も夜明け前 大丈夫 大丈夫
ずっとずっと ふたりでいよう 大丈夫 大丈夫

                            毛皮のマリーズ〜欲望〜

正しくないけど不正じゃない

 

最近なんだか引用の少ない人生になってきたなあって思う。

ブログを書き始めて約7ヶ月。

久しぶりに今まで書いた文章を読み返してみたんだけど、最近の文章は少し変わってきたなって思う。

それはいい意味で。

 

今までの文章はなんだか必死に背伸びをして、自分の考えの正しさを確かめるために誰かの言葉を借りているような感じがする。

それが悪いわけじゃないんだけど、正しいことを言おうとへんに力んでいてあんまり生活感がないというか、本当の意味で自分の頭で考えていないように思えてしまう。

 

でも最近は力も抜けてきて生活の中から得た確かな実感を言葉にできているような気がする。

誰かの言葉、誰かの考えじゃなくて自分の言葉と考えを文章にできていると思う。

これは別に文章だけが変わったわけじゃなくて僕の生活というか生き方そのものが変わったんだと思う。

 

たぶん、その理由は就活が終わったこと。

就活中はよく「自分はいったい何者なのか」という悩み、問いを耳にした。

僕は就活とは成果を出すことが全てで、そんなことを悩んでいるのは時間の無駄だし、必要ないと考えていたので「自分はこうゆう人間だ」と決めつけてスーツを着ている時だけはその人格を全うしよと考えた。

実際にその通りに就活をして内定をもらった。

まわりの人間には「20年も生きていれば自分のことなんて分かるよ」って言っていたな。

実際には何にも分かっていないのに。

 

就職活動には僕なりのコツがあった。

優先順位を「常識≧自分の考え」にすること。

常識とは目に見えない正しさのこと。

常識からはみ出ることなく自分の意見を言うことが大切。

例えば就活における模範解答はいろんなところで教えてもらえる。

ネットを調べれば正しいエントリーシートの書き方もわかるし、面接の受け答えなんかも大学で教えてもらえる。

その通りに受け答えするのは誰でもできるから個性がなくなってしまう。

常識からはみ出ることなく自分の意見を言うのは別解を示すのに近いかもしれない。

模範解答と結論は同じだけど算出過程が違う。

その作業は模範解答を導き出すより強く正解を意識しなければならない。

 

僕は就活が得意な人間だった。

でもそれはけん玉が得意ってのと何が違うんだ。

就活が得意なのと人間的魅力は一切の関係がない。

だからさっさとスーツと一緒に就活をしていた時の意識を脱ぎ捨てなきゃいけなかったんだ。

僕は結局何ヶ月もスーツを着たままだった。

だから僕の書く文章はなんだか正しさばかりを意識した面白くない文章になっていたんだ。

 

理論武装」という言葉がある。
自分の立場や主張を他人の批判から守るために、さまざまな理論を準備しておくことだ。

正しさを持たないことは心ぼそい。

正しさを求めることは正しいことだ。

 

でもそんなのつまらないじゃない。

正しさというネクタイを締めたままじゃ息苦しいよ。

正しさで角ばった言葉なんかより自分の頭で考えた言葉が聞きたいよ。

「正しい」の反対の意を持つ言葉は「不正」じゃない。

「正しくない」でなければならない。

 

昨日『ダークナイト』を見ていたら、字幕では「銃を準備しろ‼︎」って表示されているのに役者は「Rock&Roll‼︎」って言っていた。

僕は面白いと思う。

正しくないけど不正じゃない言葉。

 

この前久しぶりに学科の友人と会ってご飯を食べた。

「卒業してもまたみんなで集まろう」って話をした。

でも僕はバラバラになった僕らが全員で集まることは二度とないだろうなって皮膚感覚で分かっていた。

そこで正しにこだわって「いや、卒業してしまったらみんなで集まるのは厳しいよ。」って言うことになんの意味があるのだ。

「その時は奥さん連れてくわ!」って嘘ついて答えた方が面白いじゃん。

 

正しさと正しくなさの間にユーモアが生まれて、そのユーモアにその人の思考や言葉があるんだ。

だから面白いんだ。

 

なんてちょっと尖った文章を書いているのは、ダークナイトジョーカーと時計じかけのオレンジのアレックスに当てられたからです。

彼らの正しくない感じがすごくかっこよかった。

 

書くこともなくなってきたのでそろそろ終わります。

 色々書いたけど清く正しく生きていくことも大切です。

色々書いたけど。

 

Rock&Roll‼︎(読んでくださり有り難うございます。)

 

 

正しいも正しくないも意味はないのさ

君はすてきだ!困った顔がよく似合う

                                            ふくろうず〜ごめんね〜

 

 

 

オレたち花のDS組②

 

かなり間が空いてしまったけれどバイトの休憩で暇なので続きを書きます。

 

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『ザ ・アーブス・シムズ・イン・ザ・シティ』というゲームです。

いつも通りアマゾンから製品紹介をコピー。

キャラクターを操作して、様々なミッションをクリアしていくアドベンチャーゲームです。
冒険の舞台は、大都会ミニオポリス。プレイヤーは、ひょんなことから裏社会の黒幕の計画を知ってしまい、職を失うことに。生活の立て直しを図るため、仕事でレベルアップしたり、街の住人達の依頼をこなすなどの努力を積み重ね、街での評判を高めていき、最終的に街一番の有名人になることが目標です。

 

これだけ読んだだけですごく面白そうだなって思う。

久しぶりにこのゲームをすこしだけプレーしてみたけど、相変わらずぶっ飛んでる。

開始30分ぐらいで主人公が捕まって牢屋にぶち込まれる。

牢屋越しに看守と会話しまくって、ご機嫌をとって釈放してもらうところから始めなきゃいけない。

こんなゲーム他にないでしょ。

ミニオポリスっていう街が舞台なんだけど、街にはたくさんの人がいて、彼らと会話して仲良くなるとミッションを依頼される。

ミッションの内容も変わっていて、女の子とデートをして楽しませるとか、〜に嫌がらせをしろとか、バイクのレースで優勝するとかギスギスしてないのが多い。

 

このゲームの面白いところが住民がみんな何らかのグループに所属しているところ。

たとえばオタク系、ストリート系、アート系とか。

アート系の人は美術館とかコーヒーの話はウケるんだけど、スポーツの話とかすると嫌がられる。

だから会話するときは相手がどんなグループなのか考えて会話をしなきゃいけない。

筋トレしまくってムキムキになってからじゃないと、ストリート系の人はミッションを依頼してくれないとかある。

主人公もグループ分けされるんだけど、ゲーム開始時の簡単なアンケートで何系なのかが決まる。

僕はもちろんオタク系でした。

 

もう1つの特徴として面白いのが、睡眠や食事、トイレなどたくさんパラメータがあること。

睡眠のパラメータがなくなるとぶっ倒れるし、トイレのパラメータがなくなるとその辺で漏らす、そうなると衛生のパラメータがなくなってシャワーを浴びないと誰とも会話できなくなる。

どれかおろそかにするとミッションが進まないし、バイトもできない。

生理的なパラメータだけではなくて、最低限人と会話をしなかったり、筋トレや研究ばかりして娯楽をおろそかにするとやる気がなくなったり塞ぎ込んだりする。

それが結構リアルで昔はこのパラメータがめんどくさかったんだけど、今なら睡眠と同じくらい会話も大事だよなあって思わされる。

生理的なパラメータを満たすために家を持てるんだけど、お金持ちになればいい物件に引越せるしいい家具も買えるっていうお金の大事さまで教えてくれる。

僕はお金がなくてボロい家にボロい家具を置いて生活してたんだけど、防犯設備にお金をかけなかったせいで泥棒に入られてシャワーを盗まれた。

シャワーを盗むってすごい根性だな。

新しくシャワーを買うお金がなかったらひたすら蛇口で手を洗って衛生のパラメータを保っていた。

とうぜん手を洗うだけじゃ少ししかパラメータが回復しないから1日に何時間も洗ってたなあ。

 

このゲームはアメリカのエレクトロニクアーツ社が作ったんだけど、アメリカンなユーモアが豊富でそこも楽しい。

スケボーで街を駆け回ったり、ストリートバスケでお金を稼いだり、果物を積んできてスムージを作ったり。

 

実生活において必要不可欠なことをリアルに描くことで、社会の厳しさを教えてくれる素敵なゲームです。

ゲームが進んで行くと「走っては行けない」っいう法律が制定されて本当に走ったら牢屋にぶち込まれるのも好き。

おそらく悪法も法であるという哲学を教えてくれているんだと思います。

まぁエレクトロニカアーツはノリだけでゲームを作っている気がするから、絶対意図してないけど。

 

今のミッションは美術館の展示物を買うことと、館長をやってくれる人を探すこと。

とりあえず家でしっかり寝て、トイレとシャワーを済ませてからミッションに取り掛かろうかな。

 

『2001年宇宙の旅』

 

僕は映画が好きだけど映画マニアじゃないからあんまりマニアックなのは見てないし、かといってメジャーな映画も結構見てなかったりする。

じゃあ何観てんねんて言われるとちょっと困っちゃうんだけど。

ジョーズジュラシックパークも見てないし、崖の上のポニョだって見てない。

 

ジョーズジュラシックパークも見たいんだけど、なんとなく後回しにしてしまっている。

有名な映画はきっとどんな気分の時でも観れるからまた今度でいいやって思って、アメリカン・パイとか借りてしまう。

卒業まであと半年をきったのもあって、もしかしたら社会人になったら映画を見る暇がないかもしれないって考えて、後回しにしていた有名な映画を観まくろうと思った。

その第一弾が『2001年宇宙の旅』。

 

2001年宇宙の旅』は60年代後半にアメリカで公開されたSF映画の金字塔的な存在。

監督は『シャイニング』『博士の異常な愛情』で有名なスタンリー・キューブリック

やっぱり僕はどっちも観てないけど。

あらすじ書こうかと思ったけど、この映画をまとめるのは難しすぎるからやめた。

この映画に関しては感想が上手く言葉にできない。

途中で何度か寝そうになるくらい退屈だったけど夢に出てきそうなくらい強烈だった。

内容は単純だけど難解で、難解だけど謎めかしているわけでもない。

面白かったかと言われれば見てる最中はそうでもなかった気がするけど、思い返してみるとやっぱり面白かった気がする。

ざっくりまとめてしまうと間違いなく面白い映画なんだけど退屈なシーンがとても多くて、そこまで難しい内容じゃないんだけど説明が全然ないから難しい気がしてしまうっていうよく分かんない映画。

 

今回は内容の話は置いておいて、一昔前のSF映画っていいなあって思ったことだけ書こうと思う。

タイトルにある通り舞台となっているのは2001年なんだけど、公開されたのが60年代後半だから3、40年後の未来を予想して製作されたことになる。

今は2017年だから映画よりさらに16年の時が経っている。

当時の未来予想図と今の世界の科学技術を見比べるのが楽しかった。

映画では月にも木星にも当たり前のようにフライトしていて、人間と完璧に会話ができる超優秀なハイテクコンピューターが登場する。

今の時代まだまだ宇宙旅行は実用化されていなくて、ハイテクなコンピューターはあれど映画に出てくるような完璧な会話ができるような知能はない。

かと思えば映画にはブラウン管みたいなごっついテレビしかなかったり、電話や諸々のスイッチは全部押しボタン式で今では当たり前になったタッチパネルなんかはなかった。

 そうやって考えると映画の世界と現代の科学技術がマッチしてるのってテレビ電話くらいしかなかった。

 

宇宙進出、人工知能は40年前からの人類の目標で今でもその目標を追い続けている。

いつ実現するかは分からないけどいつか実現したとして、次はいったい人類は何を目標にするのだろう。

不老不死かな。

でも不老不死の研究は宇宙進出より先に完成しそうなきがする。

そう考えると宇宙進出、人工知能の次の目標って案外なさそうだな。

車が空を飛ぶとかは科学技術的には可能で、やるかやらないかの問題だからそういうのは無しにして。

きっと人類の科学技術は40年前から最終段階に入っているんだと思う。

 

だから一昔前のSF映画は面白い。

今では科学技術の最終段階もある程度見えてきて、その次のステージも無いから、突拍子も無い未来予想図は描けないようになってきた。

面白い未来予想図を描こうとすればするほどリアリティがなくなっていくからね。

でも、一昔前のまだまだ未来が手探りだったころの未来予想図はロマンとアイディアの集結で、この映画はどんな世界を見せてくれるのだろうってワクワクする。

 

あ、まだタイムマシンが残ってたね。

まあ実はもう完成しているのかもしれないけど。

 

そんなわけで『2001年宇宙の旅』はSF映画の魅力に気づかせてくれる映画でした。

とても好きです。

次は『さらば青春の光』『ロッキーホラーショー』を借りてきたので今から見ます。

また感想書くかも。 

 

 

 

 

 

 

『彼女がその名を知らない鳥たち』

 

3日前に見てきた。

感想書きます。

今日は他にも書きたいことあるからサラッとだけ。

僕は最近ちょっとだけ演劇に興味を持ち始めていて、といってもまだ2回しか劇場に行ったことないけど。

僕が見に行った演劇の役者さんたちがツイッターでこの映画を絶賛していたので興味を持って見に行った。

 

蒼井優阿部サダヲがダブル主演で「あなたはこれを愛と呼べるか⁉︎」「登場人物全員クズ‼︎」みたいなキャッチコピーで宣伝されていたから面白そうだなーって思った。

僕は結構クズ映画みたいなのが好き。

邦画だと『苦役列車』とか、洋画だと『トレインスポッティング』とか。

クズな方が愛着わくことってあるよね。

 

日曜日ってこともあって劇場はまあまあ埋まっていた。

ほとんど女性だったかな。

この映画は不倫的な要素も結構あるから、やっぱりそういうのは女性にウケるのかなって思った。

映画の出来は結構良かったと思う。

エンディングではあちこちから鼻をすする音が聞こえて、たくさんの人が泣いていた。

蒼井優阿部サダヲはさすがベテランって感じだった。

たぶんこの映画を好きじゃないって言う人は30人に1人くらいなんじゃないかな。

 

まあ、その一人が僕です。

僕は自己犠牲の愛が美しいみたいなの嫌い。

だって結局誰も幸せになれないと思う。

犠牲になる自分は当然幸せになれないし、相手もその罪悪感で幸せになれない。

それに自分を犠牲にできる権利は人間誰しも持っていて、つまり何か犠牲にしなきゃいけない時に自分を選ぶのって一番頭使ってなくて、なんだかユーモアないなあって思うんです。

僕の大嫌いな映画『ダンサーインザダーク』を思い出す。

だからストリー的には全然好きになれなかった。

たしかに登場人物全員クズだったけど愛着わかないタイプのクズだった。

やっぱり僕はキャメロンディアスが出てくるようなおバカでちょっとえっちなコメディーが一番好き。

 

でも蒼井優はやっぱり凄い。

蒼井優の顔面はニュートラルだなーって思う。

顔面ニュートラルって悪口っぽいけどそうじゃなくて、どんな表情でもよく似合うって意味。

怒ってる時の表情も笑っている時の表情もすごく良いなって思う。

 

僕は普段あんまり映画館で映画見ないんだけどやっぱりスクリーンでかいとテンション上がりますね。

家でDVD見てると、これ映画館で見たかったなってのが結構あって、でも1500円は僕にとってはなかなか大金だから難しいところだなぁ。

とりあえず『南瓜とマヨネーズ』は絶対に見に行こう。

僕の大好きな漫画が原作だし、僕の大好きなオダギリジョーがでてるし。

そんな感じでそろそろ終わります。

あんまり好きになれなかった映画ほどたくさん感想出てくる時あるよね。

 

あと竹野内豊って永遠にチャラいなって思いました。