好きな女の子にハチミツとクローバーを読んで欲しいという気持ち

 

恥ずかしいことだけど僕は今まで女の子の好みというものがなかった。

髪型はその子に一番似合う髪型でいいと思うし

、細い子も可愛いし太めの子も可愛い。

性格がきつい子も可愛いけど優しい子も好き。

それくらい女の子ってだけで僕は肯定していた。

 

でも22歳になってやっと女の子の好みというものがぼんやりと出来てきた。

 

この前中学生の時に2年くらい付き合ってた子とラインすることがあった。

その子は甲子園が大好きで、小学校の先生になるために勉強を頑張っている。

僕は野球は見るのもするのも好きじゃなくて教師っていう職業も思うところがあってあんまり好きじゃない。

 

その子は僕が好きな小説も映画も音楽もぜんぜん知らなくて、むしろ僕が大嫌いな映画が大好きで、どうして2年も続いたのかなって考えた。

その子はメインカルチャーな女の子で、僕はサブカルチャーな男。

 

ぜんぜん興味の方向も違うけど間違いなくその子のことが僕は大好きで、その子も僕のことを好きでいてくれた。

山崎ナオコーラの小説の『論理と感情は相反しない』っていう短編集を思い出した。

論理的に物事を考える彼氏と感情論で物事を考える彼女がすれ違いながらも共生していく話。

その小説中の別の話で2人はその後別れていることが書かれていたっけな。

 

趣味が合わなくたって価値観が合わなくたって一緒にいる男女はたくさんいると思う。

でも今の僕にはきっと無理だと思う。

 

他の人もきっとそうだと僕は勝手に思っているんだけど、僕みたいなサブカルチャーな人間って自分のアイデンティティの大部分が自分の趣味にあると思う。

好きな小説に影響を受けたり、音楽に彩られた人生を歩んでいたり、甲子園で球児たちが流す涙より映画の中でヒロインが流す涙を美しいと感じる。

 

僕の趣味を理解してくれないっていうのは僕自身を理解してくれないっていうことに直結してしまうような気がしてしまう。

でも万人ウケしないからサブカルチャーなわけで、分かって欲しいけどそれが叶わないことを分かっている。

とうぜん僕だって相手のことを理解してあげることができないし。

 

こんなひねくれた文書を書いているけど趣味の合わない友達といるのも楽しいし、西野カナが好きな女の子と話をするのも好きだから、ちょっとわがままを言いたい気分なだけだと思うけど。

 

僕は今絶賛恋人募集中なわけで、今まではどんな趣味を持っている女の子でも良いかなって思ってたんだけど最近はそうは思えなくなってきた。

相変わらずルックスについてはこだわりはないけどできるなら銀杏BOYZandymoriが好きで携帯小説より純文学が好きな女の子が良い。

 

ハチミツとクローバーに感化されてスピッツを聴きながら2人で四つ葉のクローバーを探したいし、穂村弘に感化されて月見バーガーを食べるために終電を見送りたい。

 

大学2年生になったあたりから女の子と恋愛話をすると、女の子たちは結婚についてもう少しづつ考え始めているみたいで僕がさっき書いたようなことを言うと笑われてしまって寂しい気持ちになる。

僕は22歳になっても中学生みたいに女の子を想って、22歳になってもしたたかな恋愛が苦手で、22歳になっても自意識と決別できていない。

 

いまラッキーオールドサンを聞いていて、「いくつになっても恋をする素敵な人でいて」って歌っていて少し勇気付けられる。

夏までに恋人を作りたいって以前書いたけどその理由は周りの女の子たちが社会に出てすっかり大人になる前に好きになりたいからだといま気づいた。

 

さすがにそろそろ恥ずかしくなってくるのでもう終わろうと思う。

1700文字も費やして言うことじゃなかったかもしれないけど僕にとってはなかなか切実な話なんです。

 

最後にもし読んでくれた人がいるなら。

ハチミツとクローバーは本当にいい作品です。

もし時間があれば手にとって見てください。

 

 

老いることを恐れないで

女の子It's gonna be alright 

 いくつになっても恋をする

素敵な人でいて

答えは風に吹かれても

男の子boy's don't cry

いくつになっても不器用な

夢ばかりを見る

ラッキーオールドサン−「坂の多い街と退屈」

 

贅沢とユーモア

 

確か去年の夏だったと思う。

5人で京都の鴨川の川床で軽く飲みながら料理を食べている時に1人の女の子が「みんなで寝台列車に乗りたいんだ」って言ってた。

 

他にどんな話をしたかは全然覚えてないんだけど、その言葉だけはよく覚えている。

 

列車って普通は目的地へ移動するための手段であってそれ自体が目的ではないはずだ。

でもその女の子にとっては列車に乗ることが目的であって、目的地は重要じゃないみたいだった。
素敵な女の子だと思った。

僕は詳しくないからわからないけど、その子が特別ってわけじゃなくて寝台列車に乗る人はみんなそういった思考なのかもしれないけど。

 

数年前に友人がドレスコーズの『贅沢とユーモア』という曲を紹介してくれた。

一緒に「楽しいことには贅沢かユーモアのどちらかしかないんだぜ。」ってことを教えてくれた。

確かにそうだ。

世の中の楽しいことは全て贅沢かユーモアかもしくはその両方に分類できると思う。

僕はいつだって金欠だからユーモアを働かして楽しみを見つけるのが大好きだし、そういった思考の持ち主も大好きだ。

ユーモアがある人が好きっていうより、贅沢以外の楽しみを知ってる人が好き。

 

たとえば最近この人の楽しみ方いいなって思ったのは、城を見るときは攻め込むつもりで見ると楽しいって教えてくれた友人だったり、京都に行って森見登美彦の小説に出てくる場所を巡ったって言ってた後輩だったり、漫画喫茶に行くとAVを見ながらエロ漫画を読む地元の友達だったり。

まだまだたくさんある。

 

贅沢をすれば楽しいことってたくさん出来る。

ハワイに行くこともできるし、ドンペリを飲むこともできるし、ディズニーランドのホテルにも泊まれる。

でもそれはお金さえあれば誰だってできる。

AV見ながらエロ漫画を読む楽しみを知っているのは彼と彼の周りの人間だけだ。

お金のない僕はそういった楽しさの方が価値があるんじゃないかと思ってる。

決して贅沢したくないって思ってるわけじゃなくて、できることなら思いっきり贅沢したい。

でもそれはいつか出来たらでいいなって思ってる。

 

ここで最初の女の子の話に戻る。

僕は寝台列車に乗る楽しみは贅沢ではなくて圧倒的なユーモアだと思ってる。

すごく今さらだけど僕の言っている贅沢はお金を楽しみに変えること。

寝台列車に乗るのだってお金がかかるからそれってユーモアじゃなくて贅沢なんじゃないかって思うかもしれない。

でも本来はただの移動手段である列車の中で寝るのを楽しむって発想は素晴らしいユーモアじゃないですか。

 

あと1ヶ月もすれば人生最後の夏休みが来る。

でも僕のスケジュールはスカスカだしお金もない。

楽しい夏にしたいって切実に思う。

今こそユーモアを働かせなければ。

とりあえず今思いつく夏にやりたいことは盆踊りガチ勢です。

 

最後に僕の知っている中で一番エッジの効いた贅沢とユーモアにまつわるエピソードを。

ロックンロールのパイオニアである、チャックベリーは若い頃、ポケットに分厚い札束を抱えているにもかかわらずホテルの前で車中泊をしていたらしいです。

なぜお金があるのにホテルに泊まらないのかそれは彼亡き今となってはわかりませんが、きっと彼の車の中で過ごす夜はホテルで過ごす夜なんかよりよっぽど楽しいものなのでしょう。

 

サイテーな未来へ

進むなら、よろこんで!

これがユーモア

 地獄でも、笑えるんだぜ

ドレスコーズ−『贅沢とユーモア』

 

夢と魔法と僕の自意識と

 

今日は飲み会の席で親しい友達と3杯目のグラスを片手にだらだら話すようなしょうもないことを書きたいと思います。

ただ猛烈にディズニーランドに行きたいという願望をつれづれなるままに、書きなぐります。

 

僕はとにかくディズニーランドが好きだ。

入場ゲートをくぐった瞬間にアドレナリンが爆速で体を駆け巡り、最初の目的地も決めずに奇声をあげながら走り出してしまうくらい。

園内では終始脳内麻薬ムンムンのドーパミンがミンミンで喜怒哀楽の楽以外の感情が欠落し笑顔先行型の人間になってしまうくらい。

まぁ最後に行ったのは中3の春休みでもう6.7年は前になるからかなり美化されてる部分はあると思うし、すこし大げさに書いたけど。

それくらい好き。

 

なぜそんなに好きなのに6.7年も行ってないかと言うと僕の自意識のこじらせ方に問題がある。

中学までは家族なり友達なりと楽しくディズニーランド訪れていた。

しかし高校生を過ぎたあたりからディズニーランドといえば恋人と行くものという思考回路が脳に焼き付いてしまい、家族や友達と行くことがどうにも恥ずかしくなってしまったのだ。

僕には異性の友達がいないから友達と行くとなるとメンズオンリーになっちゃうからとても見苦しい。

 

高校時代から現在にかけて一度も彼女ができなかったわけではないのだが、僕は名古屋に住んでいるからディズニーランドに行くのは距離的にも料金的にもそれなりのハードルがあって温めているうちに破局してしまい結局現実とはなっていない。

 

大学生といえば海、フェス、スノボ、ディズニーだ。

在学中にディズニーランドを訪れるのが僕の入学時の目標であり、徐々に卒業が迫るとともに早く一緒に行ってくれるパートナーを見つけねばという焦燥感が襲って来ている。

しかし僕も22歳となり彼女を作るまでのプロセスのなんと難航を極めることかを知り諦めムードが漂っていることも否めない。

 

どうしたものか。

っていう僕の最近の1番の悩みをここに告白しました。

そういえば巷では『22年目の告白』という映画が流行っているそうですね。

僕の友人が彼女と見に行って面白かったと言っていました。

彼らは夏休みにディズニーランドに行くそうです。

そうです夏はもう目前なのです。

 

話が脱線して来たので最後にこれだけ書いて終わりにしようと思います。

 

ミッキー池に落としたの俺の中学の先輩だから!

お前らの中学の先輩じゃねぇから!

ニシノユキヒコの恋と冒険を読んで

 

久しぶりに本読んだし感想文でも書いてみます。

僕はあんまり感想を口にしたり文字にしたりするのは得意じゃないくて、どんなに感動した作品でもたいていは面白かったくらいしか言うことない。

そもそも感想文の書き方もよくわからないし。

だから感想文というより、好きなシーンをあげてくだけになりそうだな。

まあなんとなく書いてみる。

 

川上弘美の『ニシノユキヒコの恋と冒険』という小説を読んだ。

 

ニシノくん、幸彦、西野君、ユキヒコ……。姿よしセックスよし。女には一も二もなく優しく、懲りることを知らない。だけど最後には必ず去られてしまう。とめどないこの世に真実の愛を探してさまよった、男一匹ニシノユキヒコの恋とかなしみの道行きを、交情あった十人の女が思い語る。はてしなくしょうもないニシノの生きようが、切なく胸にせまる、傑作連作集。

とりあえずAmazonの内容紹介からコピーしてきた。

 

主人公のニシノユキヒコの恋愛遍歴を彼のことが好きだった10人の女の子たちの目線で描くっていう連作短編集。

ニシノユキヒコはすごく女にモテる。

そして女好きだ。

でも彼は女の子を愛すことができないし、それもあって女の子に愛されることもない。

愛せない理由はニシノユキヒコの過去に原因があるんだけどその辺はあんまり僕は興味なくて

彼がモテるということが僕にとっては重要だった。

 

僕はとにかくクズ良い男が好きだ。

クズ良い男ってのは、たとえば彼女がいるのに家に何人も女の子を連れ込んじゃうようなクズ男なんだけど、女の子達はそいつのことを好きにならずにはいられないような魅力を持つ男のこと。

魚喃キリコの『南瓜とマヨネーズ』に出てくる萩野とか、南Q太郎の『さよならみどりちゃん』にでてくるユタカとか、どうしようもなくだらしなくて、どうしようもなく女にモテる、そんなチャラい男が僕は好き。 

本谷有希子の『ぬるい毒』にでてきた男もそんな感じだっけな。

 

僕がなぜクズ良い男が好きかというと単純にカッコいいと思うから。

僕は女好きだけど女の子にへりくだるし、ぜんぜんかっこ良くないからモテないけどバカすぎずチャラすぎずのバランスが良いから女の子に弄ばれやすいタイプ。

 そんなしょうもない僕にとってはクズ良い男の所作や発言の全てがスマートに見え憧れてしまう。

 

ニシノユキヒコもモテるし、女にだらしないんだけど僕の好きな憧れるタイプとはちょっと違う感じがした。

彼からはあんまりチャラさを感じなかった。

いや、彼女がいるのに元カノと旅行に行っちゃうやつだからチャラいんだけど。

チャラさっていうか男らしさをあまり感じなかったって言った方が近いかな。

 

でも彼の女の子に対する振る舞いはいちいちかっこいいし可愛い。

それは彼がどの女の子たちともいつも対等でフラットな立ち位置から接しているからだと思う。

男ってやっぱりどうしても多少は男尊女卑的な思考を持っていると思う。

でも僕はそれが一概には悪い事だと思ってなくて、だからこそ女の子に優しくできるし厳しい社会の中でも強くあれるし、男尊女卑がいわゆる男らしさの源でもあると思ってる。

 

でもニシノユキヒコは女の子と接するときも男らしさで責めることはなくて、純粋な自分の欲求をさらけ出すだけの一本勝負って感じがした。

自分の欲求をさらけ出すだけでモテたら誰も苦労しないからそこはニシノユキヒコの生まれ持った才能だったんだと思う。

恋愛上手な人ってやっぱり恋の駆け引きができる人だと思う。
ニシノユキヒコは駆け引きなんかしないから恋愛上手とは言えないと思うんだけど、読んだ人はどう思うんだろう?

 

この小説はひたすら女性目線で書かれているからきっとレビューサイトには女性の心情に共感しました的なことが書いてあるんじゃないかな。

僕は女じゃないし女心も分かんないからきっと全く違った感想が書いてありそうだ。

後で読んでみるとしよう。

 

僕はあんまりニシノユキヒコには憧れなかったんだけど1つだけどうしても真似してみたいことがある。

女の子のシャックリをキスで止めるやつ。

このシーンには思わず拍手しました。

 

『ニシノユキヒコの恋と冒険』

とても面白かったです。

 

アンバランスな Kissで書かれた  ふたりのシナリオ
愛と呼ぶほど強くなくても 君のすべてが痛い

ただ、君の君の側にいたいよ

アンバランスな Kiss を交わして 愛に近づけよ
君の涙も哀しい嘘も 僕の心に眠れ

君の心が僕を呼ぶまで 抱きしめあえる日まで

 高橋ひろ『アンバランスなKissをして』

儚さと美しさって関係あるの?

 

さっきインスタのライブでアメリカ人の女の子がマリファナを吸いながらラテン系の音楽を流して歌ってるってだけの配信を見てた。

その女の子はたぶん20代前半で金髪で華奢な体をしていてとても美人だ。

アメリカ人の特有の明るいチャーミングな笑顔を見せてくれるんだけどマリファナのせいか目が虚ろで、それがアンニュイでシニカルな雰囲気を醸し出していて今までに出会ったことのない類の美しさだった。

なにかドラマチックなことがあるわけじゃなくて、その子が音楽に合わせて歌って時折マリファナを吸うだけの退屈な配信だったけどその美しさに僕は目が離せなかった。

 

ところで日本人はよく儚いから美しいみたいなことを言うけど、これって誰もが納得して受け入れているのだろうか。

僕も感覚的にはなんとなく分かるし受け入れているけど、よく考えると「儚さ」と「美しさ」って因果関係をはっきりと結べるのだろうか。

例えば桜はすぐに散ってしまうから儚くて美しいって言うけど、じゃあもし仮に永遠に散らない桜があったとして人々はそれを見たときに美しいと思わないのかな。

たぶんきっとそうなんだと思う。

 

だって僕がマリファナガールから目を離せないほどの美しさを感じたのはきっと彼女にも儚さを感じたからだと思う。

 

僕たちは義務教育の中でドラッグについて学んだけど、それを大雑把にまとめると一度でも手を出せば人生が終わるってことだった。

本当にただただ憎むべき物として教えられてきた。

 

まぁマリファナは体に悪くないし依存性もないって言われているけど、それはこの際置いておいてドラッグという類で見てしまおう。

 

そんな風に育ってきた僕にとって彼女のマリファナを吸うという行為は自傷的に見えてしまうし、だからこそ彼女の命の有限さを解析的に見せられたように感じてどうしようもない儚さを感じたんだと思う。

 

じゃあいったいどうして儚いと美しいんだろう。

 ネットで調べてもあんまり納得いくような答えはなかったから自分で考えてみる。

まず「儚い」を辞書で調べてみると「消えてなくなりやすい。」「もろくなくなりやすい。」「不確かであてにならない。」って書いてあった。

次に「美しい」は「色・形・音などの調和がとれていて快く感じられるさま。人の心や態度の好ましく理想的であるさまにもいう。」って書いてあって辞書的な意味での関係はなさそうだ。

 

うつくしいで辞書を引いて驚いたんだけど、「愛しい」と書いてうつくしい読めるらしい。

意味は「美しい」と一緒。

つまりいとしさはうつくしさでもあるんだ。

ちなみに「愛しい」(いとしい)の意味は「かわいく思うさま。」「恋しく慕わしい。」「かわいそうだ。」「ふびんだ。」。

 

僕らは儚いものを見ると、特に儚い命を見ると「かわいそうだ。」「ふびんだ。」って思う。

つまり儚いものに愛しさ(いとしさ)を感じているのだ。

そしてその愛しさ(いとしさ)は愛しさ(うつくしさ)であり、つまり美しさ。

 

まとめると

僕らは儚いものに愛しさ(いとしさ)を感じる。

そして愛しさ(いとしさ)は、(うつくしさ)でもある。

つまり僕らは儚いものに美しさを感じている。

っていうこと。

 

なんか結局ただの言葉あそびになっちゃって、本質をまるで捉えられてないけどそういうことにしておく。

 

ちなみに愛しいは、かなしいとも読むから悲劇とかが美しいってのも同じ理由でいけるんじゃないかな。

 

非常にわかりにくい文章になってしまったけど、いつかまた文章力をつけてこの問いにはチャレンジしてみたいと思う。

僕は「愛」って言葉が好きだから、儚さと美しさを結びつけるのは「愛」なんだ!ってなって一人で興奮している。

愛とは何かってことについても大学を卒業するまでにはなんとなく答えを出したいな。

 

 

メンヘラモードでだらだら書きます

 

この文章は読んでも面白くないし、読んでほしいとも思わないのでそんな感じでお願いします。

ただ文章を書くことで頭の中をスッキリさせたいから書く。

 

鬱々とした気分だから鬱々とした文章を書こうと思う。

数年前からメンヘラって言葉が流行ってきている。

精神的に不安的な女の子を指す言葉だと思ってたんだけど最近男にも使われるってことを知って驚いた。

 

僕は今まで生きてきてメンヘラとは無縁だと思ってたんだけど、最近本当にここ1週間くらい「あれ、今の自分ってメンヘラかも?」って思っている。

なんとなく気分が落ち込んで胃のあたりに違和感を感じてコップ一杯の飲み物を飲むと気持ち悪くなってしまう。

誰かにすごく会いたいって思う。

 

なんだろこれ。

正直しんどいけど周りにSOSサイン出すほどでもないレベル。

 

なんとなく自分でも原因はわかっている。

4年になって友達に会うことががくんと減ったことと、卒業するためにやらなきゃいけないことが迫ってきて大変ってことと、彼女と別れて甘えさせてくれる人がいなくなったってことと…

意外とたくさんあるな。

 

4年生になってから2ヶ月ちょっとたつけど本当に楽しいと思ったのは2.3回くらいしかなくて、あとは時間が経つのに身を任せてるだけって感じがして、その不満というかストレスみたいなものが一気に来たのかなあって思う。

 

でも以前の僕はそんなことで鬱モードに入るような人間じゃなかった。

そもそも鬱モードになったことがなかったから自分でびっくりしている。

 

たぶん1番の原因は『ひぐらしのなく頃に』のアニメを一気見したせいかなって思ってる。

鬱モードに入ったのが1週間前くらいで、アニメを見だしたのも1週間前くらい。

 

なんども言うけど僕はそんなタイプじゃない。

過度に作品に感情移入することはないし、別に落ち込みやすくもないし、ストレスを引きずるタイプでもないし、繊細じゃないからあんまり傷ついたりもしない。

今の自分がとても不思議だ。

 

僕は基本的には自分に自信があるタイプでコンプレックスは多いけど周りより決して劣っていないと思っていた。

けど鬱モードになった途端に自己肯定感が全くなくなってしまった。

あれ俺友達少ないんじゃない?

卒業するためにこんなにヒーヒー言ってるけど、俺って能力低いんじゃない?

俺って女にモテないんじゃない?

初めてそんなことを思い出した。

 

もしかしたらブログを書き出したことも関係あるかも。

今ままで適当にごまかして頭の中で都合のいいように処理してきたことが文書として目の前に突きつけられて冷静になってしまったのかも。

 

20歳の頃の自己肯定の能力は最強だった。

自分のことを最強にかっこいいと思ってたし、いつも隣に女の子がいたし、いろんなお酒を飲んでたし、最高に大好きな友達がいたし、最高にチャラチャラしてた。

あのころの万能感はなんだったんだろう。

今思えばただの勘違い野郎で頭おかしいとしか言いようがない。

 

ここまで適当にだらだら書いてて目指すべきことがわかった気がする。

僕はきっとあのころの万能感を取り戻すべきなんだと思う。

あの頃みたいに自分最高!って気持ちを取り戻すべきなんだと思う。

メンヘラってる場合じゃないぞ。

あの時みたいに不真面目に単位を取って、ぜんぜん勉強してないのに単位取れる俺って天才や!って思わなきゃ。

何する?って聞かれたら、とりあえず海行こうぜ!って何回でも答えなきゃ。

飲み会で飲んだグラスの数より多くゲロ吐かなきゃ。

髪の毛を染めてクシャクシャにしてだらしない感じを出さなきゃ。

 

さっきは文章を書いたせいでメンヘラモードになったみたいなこと書いたけど、やっぱり文章を書くのはいいことだ。

頭の中で堂々巡りしていた思考がスッと一本の線になる感じがする。

 

とりあえず明日髪の毛を染めるぞ。

ほんで会う人みんなに夏を楽しもうぜ!って言うぞ。

 

 

 

 

サラリーマンと無限の可能性

 

就職活動が終わった。

休みがあれば給料は低くてもいいなんて言ってた僕だけど、あっさりと休みも多くて給料も多い企業に内定をもらった。

まあ実際に働いたわけではなくてネットの情報を見ただけだから本当かどうかわからないし、入社してから退社するまで一生トイレ掃除だけをやらされる可能性だってあるわけだからなんとも言えない。

それでも企業の名前を言えば周りの人は驚いてくれるし、褒めてくれるから世間から見れば就活は成功したんだと思う。

 

元カノが何度か「君が大学卒業してバンドマンか芸人になるって言い出しても応援する」って言ってくれてた。

その子とは別れて、実際に内定をもらって、とうとう僕はバンドマンになる未来も芸人になる未来もなくなった。

別にバンドマンになりたかったわけではないけど。

 

小学生の時とかによく大人たちが「君達には無限の可能性があります。」って言ってたのを覚えている。

僕の友達はその言葉が大嫌いだって言ってて、

「俺は生まれた時から出来ないことがたくさんあって、出来ないことから逃げ続けてきたから今の自分がいるし、だからこそ今の自分が可愛いし今の自分が好きだ。

俺には野球選手になる未来なんて生まれた時からなかった。

俺のことだもん誰よりわかるよ。」

そんなことを言っていて、僕は流されやすいので確かにその通りだなあって思った。

 

でも実際にあのころ思い描いた未来の自分に今なってみて思うのはやっぱり「僕には無限の可能性があったんだな」ってこと。

当然僕も最初から野球選手になる未来はなかったし、能年玲奈と結婚する未来もなかった。

生まれた瞬間から将来なることのできないものはたくさんあったと思う。

この無限ってのは何にでも思い描いたものになれるって意味じゃなくて、本当に多くの選択肢があってそれをいちいち数えてられないから近似的に無限って表現した。

バンドマン、芸人、ニート、…いろんな可能性があった。

僕は生まれてから22年間で無限の選択肢の中から少しづつ少しづつ選択肢を狭めていって、いざその中から将来を選ぶ時に残ったのはサラリーマン1つだった。

そりゃ今からでもバンドマンになることはできるかもしれないけど、僕という人格が出来上がってしまった以上サラリーマン以外の選択肢はないのだ。

サラリーマンといってもまた無限に近い数の会社があってそのなかから1つの企業を選んだ。

つまりこの企業を選ぶような生き方を自分で選んできたという事で、残り物を仕方なく選んだわけではなくて僕にとっては満足のいく選択なのだ。

 

この文章には論理的整合性なんて少しもないけど、頭の中をただ吐き出すことができて書いてみてよかったと思う。

 

もちろん僕にはまだまだ将来については選択肢がある。
転職するかもしれないし、結婚するかもしれないし、海外で生活することも出来る。

 

私が私である限りこんなにも自由


どこかで聞いたセリフだ。

僕は限られた無限の中で自由にやってるよ。
とりあえず厄介な選択を終えたところだけど人生にはまだまだたくさんの選択肢が残ってるからゆっくりのんびり狭めていって最後は消去法だ。

 

今朝の風はなんだかちょっと
冷たく肌に吹いてくるんだ
ぼんやりした頭がすこししゃんとするんだ
憶えてない夢のせいで心が
何メートルか沈み込むんだ
熱い濃いコーヒーを飲みたいんだ
そっちはどうだい うまくやってるかい
こっちはこうさ どうにもならんよ
今んとこはまあ そんな感じなんだ

サニーデイ・サービス 『青春狂走曲』