正しくないけど不正じゃない

 

最近なんだか引用の少ない人生になってきたなあって思う。

ブログを書き始めて約7ヶ月。

久しぶりに今まで書いた文章を読み返してみたんだけど、最近の文章は少し変わってきたなって思う。

それはいい意味で。

 

今までの文章はなんだか必死に背伸びをして、自分の考えの正しさを確かめるために誰かの言葉を借りているような感じがする。

それが悪いわけじゃないんだけど、正しいことを言おうとへんに力んでいてあんまり生活感がないというか、本当の意味で自分の頭で考えていないように思えてしまう。

 

でも最近は力も抜けてきて生活の中から得た確かな実感を言葉にできているような気がする。

誰かの言葉、誰かの考えじゃなくて自分の言葉と考えを文章にできていると思う。

これは別に文章だけが変わったわけじゃなくて僕の生活というか生き方そのものが変わったんだと思う。

 

たぶん、その理由は就活が終わったこと。

就活中はよく「自分はいったい何者なのか」という悩み、問いを耳にした。

僕は就活とは成果を出すことが全てで、そんなことを悩んでいるのは時間の無駄だし、必要ないと考えていたので「自分はこうゆう人間だ」と決めつけてスーツを着ている時だけはその人格を全うしよと考えた。

実際にその通りに就活をして内定をもらった。

まわりの人間には「20年も生きていれば自分のことなんて分かるよ」って言っていたな。

実際には何にも分かっていないのに。

 

就職活動には僕なりのコツがあった。

優先順位を「常識≧自分の考え」にすること。

常識とは目に見えない正しさのこと。

常識からはみ出ることなく自分の意見を言うことが大切。

例えば就活における模範解答はいろんなところで教えてもらえる。

ネットを調べれば正しいエントリーシートの書き方もわかるし、面接の受け答えなんかも大学で教えてもらえる。

その通りに受け答えするのは誰でもできるから個性がなくなってしまう。

常識からはみ出ることなく自分の意見を言うのは別解を示すのに近いかもしれない。

模範解答と結論は同じだけど算出過程が違う。

その作業は模範解答を導き出すより強く正解を意識しなければならない。

 

僕は就活が得意な人間だった。

でもそれはけん玉が得意ってのと何が違うんだ。

就活が得意なのと人間的魅力は一切の関係がない。

だからさっさとスーツと一緒に就活をしていた時の意識を脱ぎ捨てなきゃいけなかったんだ。

僕は結局何ヶ月もスーツを着たままだった。

だから僕の書く文章はなんだか正しさばかりを意識した面白くない文章になっていたんだ。

 

理論武装」という言葉がある。
自分の立場や主張を他人の批判から守るために、さまざまな理論を準備しておくことだ。

正しさを持たないことは心ぼそい。

正しさを求めることは正しいことだ。

 

でもそんなのつまらないじゃない。

正しさというネクタイを締めたままじゃ息苦しいよ。

正しさで角ばった言葉なんかより自分の頭で考えた言葉が聞きたいよ。

「正しい」の反対の意を持つ言葉は「不正」じゃない。

「正しくない」でなければならない。

 

昨日『ダークナイト』を見ていたら、字幕では「銃を準備しろ‼︎」って表示されているのに役者は「Rock&Roll‼︎」って言っていた。

僕は面白いと思う。

正しくないけど不正じゃない言葉。

 

この前久しぶりに学科の友人と会ってご飯を食べた。

「卒業してもまたみんなで集まろう」って話をした。

でも僕はバラバラになった僕らが全員で集まることは二度とないだろうなって皮膚感覚で分かっていた。

そこで正しにこだわって「いや、卒業してしまったらみんなで集まるのは厳しいよ。」って言うことになんの意味があるのだ。

「その時は奥さん連れてくわ!」って嘘ついて答えた方が面白いじゃん。

 

正しさと正しくなさの間にユーモアが生まれて、そのユーモアにその人の思考や言葉があるんだ。

だから面白いんだ。

 

なんてちょっと尖った文章を書いているのは、ダークナイトジョーカーと時計じかけのオレンジのアレックスに当てられたからです。

彼らの正しくない感じがすごくかっこよかった。

 

書くこともなくなってきたのでそろそろ終わります。

 色々書いたけど清く正しく生きていくことも大切です。

色々書いたけど。

 

Rock&Roll‼︎(読んでくださり有り難うございます。)

 

 

正しいも正しくないも意味はないのさ

君はすてきだ!困った顔がよく似合う

                                            ふくろうず〜ごめんね〜

 

 

 

オレたち花のDS組②

 

かなり間が空いてしまったけれどバイトの休憩で暇なので続きを書きます。

 

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『ザ ・アーブス・シムズ・イン・ザ・シティ』というゲームです。

いつも通りアマゾンから製品紹介をコピー。

キャラクターを操作して、様々なミッションをクリアしていくアドベンチャーゲームです。
冒険の舞台は、大都会ミニオポリス。プレイヤーは、ひょんなことから裏社会の黒幕の計画を知ってしまい、職を失うことに。生活の立て直しを図るため、仕事でレベルアップしたり、街の住人達の依頼をこなすなどの努力を積み重ね、街での評判を高めていき、最終的に街一番の有名人になることが目標です。

 

これだけ読んだだけですごく面白そうだなって思う。

久しぶりにこのゲームをすこしだけプレーしてみたけど、相変わらずぶっ飛んでる。

開始30分ぐらいで主人公が捕まって牢屋にぶち込まれる。

牢屋越しに看守と会話しまくって、ご機嫌をとって釈放してもらうところから始めなきゃいけない。

こんなゲーム他にないでしょ。

ミニオポリスっていう街が舞台なんだけど、街にはたくさんの人がいて、彼らと会話して仲良くなるとミッションを依頼される。

ミッションの内容も変わっていて、女の子とデートをして楽しませるとか、〜に嫌がらせをしろとか、バイクのレースで優勝するとかギスギスしてないのが多い。

 

このゲームの面白いところが住民がみんな何らかのグループに所属しているところ。

たとえばオタク系、ストリート系、アート系とか。

アート系の人は美術館とかコーヒーの話はウケるんだけど、スポーツの話とかすると嫌がられる。

だから会話するときは相手がどんなグループなのか考えて会話をしなきゃいけない。

筋トレしまくってムキムキになってからじゃないと、ストリート系の人はミッションを依頼してくれないとかある。

主人公もグループ分けされるんだけど、ゲーム開始時の簡単なアンケートで何系なのかが決まる。

僕はもちろんオタク系でした。

 

もう1つの特徴として面白いのが、睡眠や食事、トイレなどたくさんパラメータがあること。

睡眠のパラメータがなくなるとぶっ倒れるし、トイレのパラメータがなくなるとその辺で漏らす、そうなると衛生のパラメータがなくなってシャワーを浴びないと誰とも会話できなくなる。

どれかおろそかにするとミッションが進まないし、バイトもできない。

生理的なパラメータだけではなくて、最低限人と会話をしなかったり、筋トレや研究ばかりして娯楽をおろそかにするとやる気がなくなったり塞ぎ込んだりする。

それが結構リアルで昔はこのパラメータがめんどくさかったんだけど、今なら睡眠と同じくらい会話も大事だよなあって思わされる。

生理的なパラメータを満たすために家を持てるんだけど、お金持ちになればいい物件に引越せるしいい家具も買えるっていうお金の大事さまで教えてくれる。

僕はお金がなくてボロい家にボロい家具を置いて生活してたんだけど、防犯設備にお金をかけなかったせいで泥棒に入られてシャワーを盗まれた。

シャワーを盗むってすごい根性だな。

新しくシャワーを買うお金がなかったらひたすら蛇口で手を洗って衛生のパラメータを保っていた。

とうぜん手を洗うだけじゃ少ししかパラメータが回復しないから1日に何時間も洗ってたなあ。

 

このゲームはアメリカのエレクトロニクアーツ社が作ったんだけど、アメリカンなユーモアが豊富でそこも楽しい。

スケボーで街を駆け回ったり、ストリートバスケでお金を稼いだり、果物を積んできてスムージを作ったり。

 

実生活において必要不可欠なことをリアルに描くことで、社会の厳しさを教えてくれる素敵なゲームです。

ゲームが進んで行くと「走っては行けない」っいう法律が制定されて本当に走ったら牢屋にぶち込まれるのも好き。

おそらく悪法も法であるという哲学を教えてくれているんだと思います。

まぁエレクトロニカアーツはノリだけでゲームを作っている気がするから、絶対意図してないけど。

 

今のミッションは美術館の展示物を買うことと、館長をやってくれる人を探すこと。

とりあえず家でしっかり寝て、トイレとシャワーを済ませてからミッションに取り掛かろうかな。

 

『2001年宇宙の旅』

 

僕は映画が好きだけど映画マニアじゃないからあんまりマニアックなのは見てないし、かといってメジャーな映画も結構見てなかったりする。

じゃあ何観てんねんて言われるとちょっと困っちゃうんだけど。

ジョーズジュラシックパークも見てないし、崖の上のポニョだって見てない。

 

ジョーズジュラシックパークも見たいんだけど、なんとなく後回しにしてしまっている。

有名な映画はきっとどんな気分の時でも観れるからまた今度でいいやって思って、アメリカン・パイとか借りてしまう。

卒業まであと半年をきったのもあって、もしかしたら社会人になったら映画を見る暇がないかもしれないって考えて、後回しにしていた有名な映画を観まくろうと思った。

その第一弾が『2001年宇宙の旅』。

 

2001年宇宙の旅』は60年代後半にアメリカで公開されたSF映画の金字塔的な存在。

監督は『シャイニング』『博士の異常な愛情』で有名なスタンリー・キューブリック

やっぱり僕はどっちも観てないけど。

あらすじ書こうかと思ったけど、この映画をまとめるのは難しすぎるからやめた。

この映画に関しては感想が上手く言葉にできない。

途中で何度か寝そうになるくらい退屈だったけど夢に出てきそうなくらい強烈だった。

内容は単純だけど難解で、難解だけど謎めかしているわけでもない。

面白かったかと言われれば見てる最中はそうでもなかった気がするけど、思い返してみるとやっぱり面白かった気がする。

ざっくりまとめてしまうと間違いなく面白い映画なんだけど退屈なシーンがとても多くて、そこまで難しい内容じゃないんだけど説明が全然ないから難しい気がしてしまうっていうよく分かんない映画。

 

今回は内容の話は置いておいて、一昔前のSF映画っていいなあって思ったことだけ書こうと思う。

タイトルにある通り舞台となっているのは2001年なんだけど、公開されたのが60年代後半だから3、40年後の未来を予想して製作されたことになる。

今は2017年だから映画よりさらに16年の時が経っている。

当時の未来予想図と今の世界の科学技術を見比べるのが楽しかった。

映画では月にも木星にも当たり前のようにフライトしていて、人間と完璧に会話ができる超優秀なハイテクコンピューターが登場する。

今の時代まだまだ宇宙旅行は実用化されていなくて、ハイテクなコンピューターはあれど映画に出てくるような完璧な会話ができるような知能はない。

かと思えば映画にはブラウン管みたいなごっついテレビしかなかったり、電話や諸々のスイッチは全部押しボタン式で今では当たり前になったタッチパネルなんかはなかった。

 そうやって考えると映画の世界と現代の科学技術がマッチしてるのってテレビ電話くらいしかなかった。

 

宇宙進出、人工知能は40年前からの人類の目標で今でもその目標を追い続けている。

いつ実現するかは分からないけどいつか実現したとして、次はいったい人類は何を目標にするのだろう。

不老不死かな。

でも不老不死の研究は宇宙進出より先に完成しそうなきがする。

そう考えると宇宙進出、人工知能の次の目標って案外なさそうだな。

車が空を飛ぶとかは科学技術的には可能で、やるかやらないかの問題だからそういうのは無しにして。

きっと人類の科学技術は40年前から最終段階に入っているんだと思う。

 

だから一昔前のSF映画は面白い。

今では科学技術の最終段階もある程度見えてきて、その次のステージも無いから、突拍子も無い未来予想図は描けないようになってきた。

面白い未来予想図を描こうとすればするほどリアリティがなくなっていくからね。

でも、一昔前のまだまだ未来が手探りだったころの未来予想図はロマンとアイディアの集結で、この映画はどんな世界を見せてくれるのだろうってワクワクする。

 

あ、まだタイムマシンが残ってたね。

まあ実はもう完成しているのかもしれないけど。

 

そんなわけで『2001年宇宙の旅』はSF映画の魅力に気づかせてくれる映画でした。

とても好きです。

次は『さらば青春の光』『ロッキーホラーショー』を借りてきたので今から見ます。

また感想書くかも。 

 

 

 

 

 

 

『彼女がその名を知らない鳥たち』

 

3日前に見てきた。

感想書きます。

今日は他にも書きたいことあるからサラッとだけ。

僕は最近ちょっとだけ演劇に興味を持ち始めていて、といってもまだ2回しか劇場に行ったことないけど。

僕が見に行った演劇の役者さんたちがツイッターでこの映画を絶賛していたので興味を持って見に行った。

 

蒼井優阿部サダヲがダブル主演で「あなたはこれを愛と呼べるか⁉︎」「登場人物全員クズ‼︎」みたいなキャッチコピーで宣伝されていたから面白そうだなーって思った。

僕は結構クズ映画みたいなのが好き。

邦画だと『苦役列車』とか、洋画だと『トレインスポッティング』とか。

クズな方が愛着わくことってあるよね。

 

日曜日ってこともあって劇場はまあまあ埋まっていた。

ほとんど女性だったかな。

この映画は不倫的な要素も結構あるから、やっぱりそういうのは女性にウケるのかなって思った。

映画の出来は結構良かったと思う。

エンディングではあちこちから鼻をすする音が聞こえて、たくさんの人が泣いていた。

蒼井優阿部サダヲはさすがベテランって感じだった。

たぶんこの映画を好きじゃないって言う人は30人に1人くらいなんじゃないかな。

 

まあ、その一人が僕です。

僕は自己犠牲の愛が美しいみたいなの嫌い。

だって結局誰も幸せになれないと思う。

犠牲になる自分は当然幸せになれないし、相手もその罪悪感で幸せになれない。

それに自分を犠牲にできる権利は人間誰しも持っていて、つまり何か犠牲にしなきゃいけない時に自分を選ぶのって一番頭使ってなくて、なんだかユーモアないなあって思うんです。

僕の大嫌いな映画『ダンサーインザダーク』を思い出す。

だからストリー的には全然好きになれなかった。

たしかに登場人物全員クズだったけど愛着わかないタイプのクズだった。

やっぱり僕はキャメロンディアスが出てくるようなおバカでちょっとえっちなコメディーが一番好き。

 

でも蒼井優はやっぱり凄い。

蒼井優の顔面はニュートラルだなーって思う。

顔面ニュートラルって悪口っぽいけどそうじゃなくて、どんな表情でもよく似合うって意味。

怒ってる時の表情も笑っている時の表情もすごく良いなって思う。

 

僕は普段あんまり映画館で映画見ないんだけどやっぱりスクリーンでかいとテンション上がりますね。

家でDVD見てると、これ映画館で見たかったなってのが結構あって、でも1500円は僕にとってはなかなか大金だから難しいところだなぁ。

とりあえず『南瓜とマヨネーズ』は絶対に見に行こう。

僕の大好きな漫画が原作だし、僕の大好きなオダギリジョーがでてるし。

そんな感じでそろそろ終わります。

あんまり好きになれなかった映画ほどたくさん感想出てくる時あるよね。

 

あと竹野内豊って永遠にチャラいなって思いました。

 

魂の積分。もしくは微分。

 

今日バイト中に魂を見た。

ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、まぁとりあえず書いていきます。

 

今日もいつも通りバイト先の厨房には怒声が鳴り響いていて、僕はいつも通り見て見ぬ振りをして、いつも通りことが収まるのを待っていた。

若い社員が先輩社員にずっと怒鳴られていた。

いつもならしばらくすれば落ち着いてきて、決して楽しくはないけど辛くもないみたいな時間になる。

でも今日はそうはならなかった。

 

怒鳴られ続けた若い社員が小さな声で「そんなに怒らないで」って言った後に急に大きな声をあげて泣き出したのだ。

本当に漫画みたいに「うわーん」って泣いていて僕はとても驚いた。

自分より年上の男が仕事中に声をあげて泣いているっていう状況は精神的にかなりキツイものがあって、数時間経った今でも落ち込んでいるんだけど、僕は不思議と少し感動していた。

彼だって立派な成人男性なんだから人前でわんわん泣くなんてことは絶対にしたくないはず。

だからきっと泣こうと思って泣いたわけじゃなくて本当に自分を抑えることができなかったんだと思う。

 

きっと人には処理できる感情の量に限界がある。

そのキャパシティーを超えた時、人は感情を体の外に逃すしかなくて、体の外に出た感情は自分の意思とは無関係に言動として発散される。

だからその言動は感情そのもので、理論性は全く含まれない。

 

今回だったら、怒られたことで苦しさ、悲しさの量が感情のキャパシティーを超えてしまって体の外に溢れ出してしまったんだ。

だから彼の声をあげて泣くっていう行為は溢れ出した苦しさ、悲しさそのもので僕は彼の魂を垣間見たような気がして感動したんだと思う。

 

小さい子供がよく泣くのは感情のキャパシティーが小さいからで、大人になることでキャパシティーは大きくなって行く。

だから、大人が泣かないのは別に大人になれば強くなるわけじゃなくて、キャパの量が増えただけなんじゃないかなって思う。

小さい子供が転んで泣くのは痛いという感情がキャパを超えてしまうから。

でも大人が転んだくらいでは泣かないのは、別に大人になれば痛みを感じなくなるわけじゃないでしょ。

痛いけど大丈夫ってだけ。

 

友人のブログで元町夏央という漫画家の、『熱病加速装置』という短編漫画が紹介されていてた。

その中に「人のさ、ギリギリの瞬間って、素敵だよね」っていうセリフがあるらしい。

人の感情は決して覗くことはできない、僕らは他人に心があるのかさえも確かめることができない。

でも、感情が溢れ出した瞬間だけ僕たちは人の感情を目で見ることができる。

それ以外に人の魂を確かめることってできないんじゃないかな。

だから『熱病加速装置』の台詞みたいに人のギリギリの瞬間は素敵なのだ。

 

『世界の中心で愛を叫ぶ』の一番有名なシーンで、倒れた長澤まさみ森山未來が抱きかかえて、助けてくださいと叫ぶシーンがある。

あれはまさに感情が溢れ出す瞬間を描いたもので、だからこそ日本中が感動してあのシーンに涙を流したのだ。

 

感情が溢れ出すのを見るから感動するんじゃなくて、魂を見ることができるから感動するってこと。

一個前の記事で夢と魔法を信じなくなった人間が感動するには愛か情熱しかないって書いたばっかりだど、魂も追加しときます。

 

そういえば先日ホドロフスキー監督の『リアリティのダンス』という映画を見た。

正直にいうと内容は半分も理解していないと思うけど、人間の魂の一番濃い部分をいろんな角度から見せつけられたような気がしてすごく感動した。

もうすぐホドロフスキーの新作『エンドレスポエトリー』が公開されるから楽しみ。

 

先ほどちょっと調べて見たら僕が書いたようなことを精神医学界では感情失禁というらしい。

 

精神医学界なかなかユーモアあるやん。

 

追伸

よく映画とかで殺人犯が「もっと悲鳴を聞かせてくれ!」っていうのは他人の魂が見たくて見たくてしょうがない感情失禁フェチなのかなって思いました。

 

 

 

ワンス・アポン・ア・タイム

 

前回の記事の続き。

ワンス・アポン・ア・タイムについて書きます。

 

長いからワンスって書くけど、ワンスはたしか僕が大学生になるかならないかくらいの時に始まったから3.4年前のはず。

シンデレラ城の壁面に映像を映し出すプロジェクションマッピングってやつ。

始まった当初から僕はすごく見に行きたいって思っていて、ユウチューブとかでワンスの動画は上がってるんだけどそういうのは見ないようにしてた。

結局ずっと見に行けてなかったんだけど11月の6日にワンスが終了することを彼女に教えてもらって、急いで行かなきゃってなって昨日行ってきた。

 

大雨の中の開催だったんだけど、とても感動した。

プロジェクションマッピングは普段テレビでみる映像とはぜんぜん違って、映像というよりは光そのものっていうか、ちょっと上手い言葉が見つからないけど一瞬の光じゃなくて、キラキラ、サラサラ、ユラユラとかのいろんな表現を1つにまとめたような光。

プロジェクションマッピングってすごく近未来感を感じそうなものなんだけど、その光はなんだか懐かしさを感じるものだった。

フィルムの映写機の映像みたいなイメージかな。

 

美女と野獣のポット夫人が息子のチップに寝る前のお話として不思議の国のアリス、シンデレラなどの名シーンを話して聞かせるってストーリー。

夢、魔法、信じる心、愛がテーマになっていると思う。

初めから終わりまでディズニーランド側のものすごい情熱を感じた。

「夢と魔法ってこういうことだぜ!」「愛の力を信じようぜ!」っていうメッセージをなにがなんでも伝えてやろうという情熱。

シンデレラ城全体が踊り出したり、塔が縦に一回転したり僕の予想の斜め上の演出があってこれこそ夢と魔法って感じがした。

ポット夫人がチップに「信じていれば必ず願いは叶うのよ」って言った後に妖精が「信じている人のところにしか私は現れない」みたいなことを言っていて、なんて素敵なんだろうって思った。

美女と野獣のシーンでは真実の愛みたいなものが描かれていて、忌野清志郎の決め台詞「愛しあってるかい?」を思い出した。

 僕は最近は小説や映画なんかではヒューマンドラマが好きでファンタジー物はほとんど触れなくなってきた。

就職活動が終わって将来のビジョンがなんとなく見え始めた今となっては将来の夢なんかないし、大学の理系的な考えに染まったせいで魔法も信じない。

僕はいつの間にか夢と魔法を信じない人間になった。

でも、情熱を感じる心と愛し合うことだけは忘れてはいけないと思った。

じゃないと僕はこれから何かに感動することはなくなってしまう。

ワンスで表現されていた情熱、夢と魔法、愛などは人間が感動するすべての要素が詰め合わされていたと思う。

夢と魔法を信じなくなった僕にとって、感動できる要素はもう情熱と愛しか残っていないのかもしれない。

最近、僕は分かり合う喜びの重要さを考えるようになったし、それだけで僕は生きていけると本気で思っている。

感動できなくなること、それは感動を分かち合えなくなることだ。

だから僕は絶対に情熱と愛し会うことだけは忘れたくないと思った。

 

相変わらず僕は感想を口にするのが苦手で、見終わった直後は「凄かった」くらいしか言えなかったけど、本当はこんなことを考えました。

 

約10年ぶりのディズニーランドはすごく楽しかった。

普段はあんまりこんなこと書かないけど、 大好きな女の子が楽しそうにしている姿は本当に可愛くて、また絶対にこの子と一緒に来ようと思った。

 

僕はアトラクションの中では最近できたモンスターズインクとかトイストーリーのバズの乗り物より、昔ながらのピーターパンやピノキオの乗り物が好きだった。

そのへんのことも書いたら楽しそうだから、また書くかも。

 

んー、DSのソフトの続きも早く書きたいからやっぱり書かないかも。

 

 

ヨーホーヨーホー

 

ディズニーランドに行って来た。

ちょうど台風が来ていてものすごい大雨だった。

その時はギャーギャー言ってたけと今となればそれが気にならないくらい楽しかった。

 

とくにカリブの海賊とワンス・アポン・ア・タイム が良かったからいろいろ書きたいと思う。

 

日曜日だったけど台風のせいもあって結構空いていて、もう乗るものないくらいたくさんのアトラクションに乗れた。

たしか一番長く並んだので40分くらいだったはず。

カリブの海賊はそんなに人気のアトラクションじゃないから10分くらいで乗れた。

カリブの海賊は20人乗りくらいのボートに乗って海賊が暴れまわっているのをみて回る15分くらいのアトラクションだ。

パイレーツオブカリビアンのバルボッサとかジャック・スパロウも登場したりする。

何がそんなに良かったかというと、一言で言うと「海賊ってめちゃ楽しそう」っていうのがすごく伝わって来たこと。

最初の5分くらいは骸骨ばかり出て来て少し退屈なんだけど、骸骨ゾーンを抜けると外からは想像できないくらい広い空間に出る。

そこでは海賊船が城壁みたいなのに大砲打ちまくってて、船の上にいるバルボッサが城壁にめちゃ野次飛ばしてるみたいなシーンになっている。

城壁の方からも打ち返してて、その間をボートで通るっていう激ヤバな状況が楽しい。

そこを抜けるとあとは港町に上陸した海賊たちが暴れまくってる様子が続くんだけど、そこでの海賊たちの悪さが半端なくて終始圧倒される。

まずノリで拳銃打ちまくる。

基本的に拳銃って何かと戦っている時に打つものだと思うけど、いや絶対打つ必要ないでしょ!って状況で打ちまくってるのが凄い。

街に火をつけて大火事になっている中、みんなで楽しそうにヨーホーヨーホー歌っているのも凄い。

ならず者感が半端なくて、傍若無人ってこういうことを言うんだなーって思ってた。

なにが好きかって海賊たちが常に全員ニコニコして楽しそうにしてるのが好き。

街を襲って、火を放ったり、金品を奪ってオンナを追いかけたりするのって、いわゆる海賊行為というやつで、よく考えたらこれを生業にしているわけだから、海賊たちが一番「海賊やってて良かったー!」って思う場面なんだよね。

その楽しさが倫理観みたいなのを吹き飛ばしてこっちまで楽しくなってしまう。

僕が一番好きなのは終盤の少し狭目の空間で四人の海賊がお酒片手にヘラヘラしながら拳銃を打ち合っている場面。

どうみても敵意があって打ってるわけじゃなくて、ただ楽しいから打ってますみたいな表情がぞくぞくする。

上手く言葉が見つからなくて、「こいつらチャラすぎかよ‼︎」ってよく分からないツッコミをしてしまったのを覚えてる。

 

海賊たちってほとんどが中年くらいで若い海賊ってあんまりいなかったように思える。

別に若気のいたりとかじゃなくて、これが海賊なんだぜって言われているような気がして思わず、この時代に海賊やりたいなーって考えてしまう。

まあ当然エンターテイメントだから本当の海賊はもっと血生臭かったんだろうなって思うけど。

 

そんなわけでカリブの海賊が気に入りすぎて、最後にパークを出る前に彼女にお願いしてもう1回乗った。

カリブの海賊を2回も乗りたがる人なんてほとんどいないと思う。

嫌な顔1つせずに付き合ってくれるとても優しい彼女です。

 

思ったより長くなってしまったので、ワンス・アポン・ア・タイムは次の記事で書こうと思います。

 

海賊ってラム酒を飲みまくるイメージが強いから、バーとかに行ってラム酒頼みまくって海賊ごっこしたいです。

ヨーホーヨーホー