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今日、大学生活最後のテストを受けてきた。
手応え的には可もなく不可もなくって感じだからたぶん大丈夫でしょう。
テストも8回目となると、なんとなくの感覚で合否も予想できるようになってくる。
たぶん一年生の頃だったら今日のテストの手応えの感じだと単位落とすかもって大騒ぎすると思うけど、僕も成長したなぁ。
成長っていうか経験積んだだけか。
最後のテストが終わったってことは僕は大学で学ぶべき勉学を全て学び終えたことになる。
なので今回は、僕は大学の授業から一体何を学んだかを忘れないように書こうと思う。
4年間大学の勉強をしてみて思うのは、人類って賢いなあってこと。
高校の時は物理という科目があって、それが物理学の全てを表していると思っていた。
でも大学に入った途端に物理は、熱力学、構造力学、流体力学、振動工学、動力学、静力学に細分化した。
僕が学んだだけでもこんなにあるけど、まだまだ他の大学ではたくさんの科目が有るだろう。
細分化したからといって内容が薄くなったわけじゃなくて、僕が理解できないほどに内容は深く複雑になっていった。
さらにそこから複数の科目が組み合わさった、ロボット工学やバイオメカニクス、メカトロニクスなんかも学んだ。
当然すごく難しい。
理解するのに本気で頭を回転させる必要があったし、それでも理解できないこともたくさんあった。
これが人類が長い時間をかけて手に入れた知識で、それが勉強科目という一般化までされていると思うと、人類の賢さに驚きと誇らしさを感じる。
まあ、人類の中でもごく一部の秀才によって作り上げられたもので、僕みたいなその他多数はそれを作り上げるどころか理解することもままならないんだけど。
でも、今の世の中を作っているのはそういった僕たちには理解できないほどの高度な学問だ。
携帯電話の仕組みだって、エンジンの構造だって、ましてや今座っている椅子の強度だって、高校までの勉強じゃ少しも理解することはできない。
僕らが何気なく使っている日常品の全ては高度な物理と数学の結晶だ。
物理と数学ぬきで世界の発展は不可能だ。
だから世界の発展には高度な学問を習得できる秀才が必要なんだ。
大学はそのためにあるんだと思う。
秀才をつくりだすのではなくて、秀才を見つけるための場所だ。
僕の大学は別に偏差値は高くないけど、やっぱり秀才はいて、素晴らしい卒業研究をした友人がいる。
もし彼が大学に行かずに、高卒で働いていたら当然彼の研究はなかっただろうし、今後期待される研究成果もないわけだ。
日本に大学が必要とされる理由は学科の100人の中からたった一人、彼を見つけるためなんだと思う。
大学の授業から何を学んだかっていうよりは、大学の授業の必要性みたいな話になってきちゃったな。
まあそんなわけで4年間で僕はその他大勢だということが知れたわけです。
かといって僕が勉強して身につけた知識が役に立たないとは思わない。
中高生の時にこんな勉強が社会に出て役にたつもんか!って思ってたけど、三角関数もベクトルも微積分も仕事で使う必要がありそうだ。
大学で学んだことを仕事で使うことができたら最高じゃないか。
なんとなくで選んだ理系の学科だったけど今は選んで良かったと思っている。
僕は秀才じゃないから世界の発展に貢献できないけど、飛行機が空を飛ぶ理由もわかるし、ガンダムみたいな巨大ロボットが作れない理由だってわかるぞ。
なんてったって大学で勉強したからね。