ママレード&シュガーソング
死刑制度のこととかちょっと書いちゃったから読んだら嫌な気分になるかも。
いちおう注意しときます。
このブログは大学四年になってから社会に出るまでの1年間の備忘録的な意味合いで書いている。
つまり、あと約3ヶ月ぐらいでブログは終わらせるつもりでいる。
だから今のうちに書きたいことをたくさん書いとこうと思う。
今日書くのは僕が大きくなるにつれて、だんだんと考えるようになったこと。
でも口にしたら人に嫌われそうだから今まで誰にも言わなかったこと。
まあ簡単にいえば世の中って生まれ持ったもので決まることがデカイよねって話なんだけど。
大きなところでいうと、親、ルックス、知能。
親がきちっと躾けてくれなかったら、躾のなっていない人間になるし、親が大学に通わせることのできる経済力がなければ低学歴の人間になる。
低学歴が悪いとは言わないけど、高学歴は良いことだ。
ルックスや知能なんかもいい方が良いに決まってる。
ここからは僕の今までの経験から偏見で語らせてもらうけど、親がちゃんとしてたり、ルックスが良かったり、頭が良い人の方が性格も良いことが多い。
性格が良いから周りにいる人たちも良い人が多い。
やっぱり生まれ持ったもので決まる部分は大きい。
残酷なことだけど世の中ってそういうもんだ。
世の中は公平なんかじゃない。
そのことを前提として僕が何年か前から考えてしまうのは、すごい嫌なやつがいたとしても、それって全部が全部そいつのせいじゃないんじゃないかなってこと。
まあでも、そいつのせいじゃなくても、そいつが嫌なやつなことには変わらないけど。
すごく上から目線で物事を言っているけど、僕も同じように誰かにとっての嫌なやつっていう自覚はあるから安心してほしい。
僕が最近思うのはものすごく悪いことをしたやつがいたとしても、なんていうか、そいつが悪いことをしたっていうのは事実なんだけど、その人がたまたま生まれ持ってなかっただけっていう場合もあるのかなってこと。
たとえば、数年前に僕のすぐ近所の高校の生徒がお年寄りを殺してしまって捕まるっていう出来事があった。
地元の友人たちはその犯人が釈放された時に地元に殺人鬼がいるのが怖いから死刑にしてほしいって結構みんな言ってた。
僕はなんか違うぞって思っちゃう。
結局は僕が死刑反対派って言うだけの話なんだろうけど。
人間だれしも憎い人はいると思う。
それが殺したいくらい憎い人かもしれない。
でも僕らが人を殺さないのは、殺してはいけないというストッパーを自分の中に持っているから。
でも、もしそのストッパーをたまたま生まれ持たなかった人がいたとしたら。
そういう人を死刑にしてしまったら、ナチスが行った優生政策と同じじゃないか。
冷静に考えれば無期懲役なら今後被害を受ける可能性はないわけだから、死刑を望むのは自己防衛のためじゃなくてただの私怨だ。
死刑が犯罪の抑止力になるというデータもないし。
それでも未だに日本が死刑という制度を続けるのは、世の中は公平だっていう考えが根強いからじゃないかな。
生まれ持った時に授かったものはみんな同じで、人はみんな公平だという考え。
もっと世の中は公平なんかじゃないってことを積極的に受け入れていくべきなんだ。
だって実際に公平じゃないんだもん。
だから努力は必ず報われるなんて無責任なことを大声で言える世の中になってしまう。
林修が言ってたけど、正しい分野に正しい方法でした努力しか報われるはずがないんだ。
正しい分野や、正しい努力ができるかどうかっていうのは生まれ持ったもので決まる。
僕が今から死ぬ気で野球を練習したって野球選手になんかなれないっていうごく当たり前のことを受け入れないのは何故なんだ。
じゃあ生まれ持たなかった人はどうするかだけど、やっぱり持ってるものでだけで生きていくしかないんだよ。
僕は高身長でもないし、イケメンでもないし、運動も苦手だ。
だから僕はルックスや運動能力を糧に生きていこうとは思っていない。
人並みの健康や、中程度の知能を糧に生きていく。
それしかないじゃん。
大丈夫かなこの文章。
ちょと書きすぎてるかな。
これくらいでやめておこうかな。
嫌われたらやだし。
なんかぎすぎすしてしまったので、次はひたすら好きな人について書いたり、年末ジャンボが当たった時の使い道とか書きたいな。
年末ジャンボ買ってないけど。