『ゼロの未来』考察

 

ゼロの未来という映画を見た。

ネットではよく分からん難解映画って感想が多いらしいんだけど、僕はまあまあ自分の中で整理できた。

僕はあんまり考察とか解釈とかするの苦手なタイプだけど、まとまったのが嬉しいからとりあえず書いてみる。

 

世間になじめない天才コンピューター技師のコーエン(クリストフ・ワルツ)は、「ゼロの定理」という謎めいた数式を解くことを義務付けられ、ひとり教会にこもって定理の解明を続ける。ある日、パーティに連れていかれたコーエンは、そこで魅力的な女性ベインスリー(メラニー・ティエリー)と出会う。自分と同じく天才と呼ばれるボブ(ルーカス・ヘッジズ)との交流やベインスリーとの恋を通じて、コーエンは生きる意味を知っていくが……。(以上、映画.comより)

とりあえずあらすじ。

いま読んでみて、あれこんな映画だっけ?ってなっててさそっく不安になってるけど書いて行きましょう。

 

まずこの映画のテーマは人生の意味を問うことに意味はあるのか?というもの。

主人公のコーエンは「ゼロの定理」という謎に取り組みながら人生の意味を教えてくれる電話が掛かってくるのを待っている。

「ゼロの定理」とはおそらくブラックホールの1番奥についての定理だと思う。

ブラックホールは奥に進めば進むほど無限に収縮して行き最終的には、無限に小さな0次元に到達するって言われている。

「無限に小さな0次元=無」ってわけじゃなくて0次元という状態がそこにある。

作業用のPCが何度か「ゼロは100%でなければならない」って言っていたのはこの0という無が確かに存在するというパラドックスのことだ。

だから主人公のやっている「ゼロの定理」の解析はブラックホールの謎の解析。

 

昔MHKの『神の数式』という番組で見たんだけどブラックホールの1番奥の状態は、宇宙の始まりであるビッグバンの始まりと似ていて、ブラックホールの謎を解き明かすことが宇宙の始まりを解き明かすことに繋がるって言ってたような気がする。

つまり主人公はブラックホールの謎=宇宙の始まりを追い求めている。

 

あと主人公が待ち続けている人生の意味を教えてくれる電話について。

主人公が「ゼロの定理」に挑戦している時に電話は掛かってくるけど良く聞き取れないみたいなシーンが前半に何度かあるんだけど、後半に進むにつれていつの間にか電話はかかってこなくなる。

これは「ゼロの定理」を解くという行為と、電話に出るという行為が一体化して、解くという行為だけが残ったんだと思う。

 

つまり宇宙の始まりと人生の意味は深く関係しているということ。

ボブがブラックホールの話をしたあと「宇宙は偶然できただけだ」みたいなことを言う。

「ゼロの定理」を解き明かした時、宇宙が全くの偶然によって誕生したものという結果になれば今僕たちが生きているのもただの偶然で人生の意味など存在しないということになってしまう。

しかし宇宙の誕生に何らかの法則や神様の意図、まあ何でもいいから偶然じゃないっていう結果を見つけることができれば僕たちが生きているのも偶然なんかじゃなくてちゃんと意味があるということになる。

今までは人生の意味を教えてくれる電話を待っていただけの主人公が、「ゼロの定理」に挑戦することで人生の意味を自ら問うようになったってことかな。

ゼロ次元が見つかったとして、意味がある方のゼロ次元と意味がない方のゼロ次元のどちらかになる。

これからは有のゼロ次元と無のゼロ次元って書く。

 

途中に何度かバーチャルイチャイチャ空間が出てくる。

南国ビーチみたいな場所なんだけど映画の中で唯一の自然が出てくる場所。

それがバーチャルっていうちょっとした皮肉にもなってるんだけど。

バーチャル世界も0次元って言えなくもないよね。

だって高さも横幅もないし。

ビーチはずっと風景が変わらなかったから時間という次元もないっぽいし。

イチャイチャ空間はおそらく宇宙が全くの偶然で人生に意味がないという無のゼロ次元をあらわしている。

 

急に書くのがめんどくさくなったので、今日はここで終わります。

明日以降に続きを書きます。