RADWIMPSを聞いています。

 

最近彼女のことが好きすぎてラッドの3枚目と4枚目のアルバムを聴きまくっている。

半分は本気だけど、半分は友達に「最近彼女のこと好きすぎてラッド聞いてんねんww」って言いたいがため。

なんでラッドかっていうと、この頃の野田洋次郎が「彼女のこと死ぬほど好き好きマジ好き」みたいな曲ばっかり作っているから。

ラッドといえば僕が中高生の頃に流行ってたんだけど『君の名は』の影響で少し前からまた中高生の間でブレイクしている。

 

なんでこんなに中高生に受けるのか考えたんだけど、たぶん野田洋次郎の描くラブソングには僕と彼女しか出てこないからだと思う。

僕と彼女だけが世界の全てで、そこには大人たちの理屈も社会の常識も届かない。

いわゆるセカイ系

大人になるとね、手をつないでもキスしてもセックスしても恋人になれるとは限らないのよ by 銀座線4番ホーム

ツイッターにこんなツイートが流れてた。

大人になれば好きだけでは一緒にいられないなんて話は飽きるほど聞くし、社会を経験している分、世界が広がっているから彼女以外のものも考えなきゃいけない。

セカイ系の恋愛ができるのってやっぱり中高生までで、学校という狭いコミュニティの中では彼女ができたらそのことしか頭にないだろうし、いくらでも彼女と一緒にいる時間はあるもんね。

だからラッドは中高生に受けるんだと思う。

 

セカイ系という言葉を使ったけど僕はこの言葉をちゃんと理解してないから使い方間違ってるかも。

調べてみてもいまいちピンとこないし、いろんな考え方があるみたい。

 

よく分かっていないけど、ラッドの『有心論』は絶対にセカイ系の曲だと思う。

 

だって君は世界初の肉眼で確認できる愛 地上で唯一出会える神様

誰も端っこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろう?
だから君に会えないと僕は 隅っこを探して泣く 泣く

誰も命 無駄にしないようにと 君は命に終わり作ったよ
だから君がいないその時は 僕は息を止め 待つ

 

恋は盲目なんて言うけどそんなレベルじゃない。

彼女のこと好きずきて彼女が神様になっちゃってる。

いや比喩的な何かだってことは分かってるけど、それにしても凄い歌詞だ。

どれだけ狭い世界で生きてようが、どれだけ彼女のことが好きだろうが、こんなこと考えるのは野田洋次郎だけだと思う。

 

この心臓に君がいるんだよ 全身に向け脈を打つんだよ
今日も生きて 今日も生きて そして 今のままでいてと
白血球、赤血球、その他諸々の愛を僕に送る

 

もうよく分からない。

雰囲気だけで歌詞を書いているような気さえしてしまう。

神様が意味することと、心臓が意味することって全然違うと思う。

なんか批判ぽくなってきたけど僕はこの曲好き。

今となっては冷静に歌詞を見直してみて唯一無二感が面白いけど、高校生の時はこの歌詞が凄く正しいことを言っているように思えたし、これが僕にとっても理想だった。

 

そんなわけで(?)最近はラッドを聞いています。

いろいろ書いたけど単純に昔好きだった音楽を久しぶりに聞くのが楽しいです。

昔の気持ちを思い出したり、新たな発見もあったりで他にも高校生の時に好きだった「ふくろうず」、「amazarashi」、「over the dogs 」「up lift spice」なんかも聞いてみようと思います。

こうやってみると今と全然音楽の趣味違うな。