話したいことがたくさんあるんだ
ブログを始めて約5ヶ月がたつ。
最近はなにか物事を考えるときに頭の中で文章を書くように考えるようになった。
以前はぼんやりと頭の中で誰かに話すように考えていたような気がする。
あんまり変わらないように思えるけど、ぜんぜん違って、僕にとって書くように考えるってことは自分の中のとりとめない沢山の思考や感情を文章でつなぎ合わせて1つにするイメージだ。
まるでプラモデルを組み立てるみたいに。
プラモデルの部品が思考や感情の1つ1つで、書くというのはそれらを組み立てること。
それに対して話すように考える時は沢山の思考や感情を顕微鏡で覗くように確かめるイメージ。
こんどはプラモデルの部品じゃなくて1つ1つの思考、感情は自然界に存在する生き物や気候みたいなものだ。
その正体をじっくり観察するのが話すように考えるってこと。
僕はいま話したいことがたくさんある。
話すように考えるわけではなく純粋に話したいんだ。
僕にとって頭の中の感情を言葉にするっていうのは、意味を限定すること切り取ること。
言葉にならない部分は死んでしまう。
なんとなくモヤモヤするこの感じを上手く説明できないから憂鬱なんて言葉で閉じ込めてラベルを貼る。
僕にとっての憂鬱と、その他の人にとっての憂鬱はまるで別物なのに。
全国のコンビニに売っているカルビーのポテトチップスは値段と内容量は一緒だけど中身は一袋一袋ぜんぜん違うはずだ。
ポテチ一枚一枚の大きさも違うし、原料となるジャガイモも何万個のうちの1つから出来てるわけで当然味も違うんじゃないかな。
だけど僕らはそんなことは気にせずに全て同じカルビーのポテトチップスとして食べている。
言葉についても僕が持っているイメージは人それぞれなのに、言葉というラベルで1つにしてしまう。
だから自分の頭で考える前に言葉にするっていうのはすごく危険な行為のように思える。
でもそんなことより今は話しを聞いて欲しい。
この1週間はバイトも読書もせずに高校の友達や大学の友達と遊びまくった。
その中でたくさんの感情が生まれた。
そして少しだけ足を止めて考えるようなこともあった。
言葉によって形を変えてしまった感情でも、僕が伝えたいのはただ楽しかったよってことだけだからそれで良いんだ。
それを忘れてしまう前にあなたに伝えることができたら、楽しかった思い出がもっと楽しい思い出になると思うんだ。
僕は今ミスドにいるから、ミスドで例えるとオールドファッションは美味しいけどチョコファッションの方がさらに美味しいみたいな感じで、あなたに話すことで楽しかった思い出にチョコをかけてさらに楽しい思い出にする。
そんなバカみたいなことを考えながら8月31日を過ごしています。
明日から9月です。
金髪にしていたこの髪も今日の夜には黒髪に戻そうと思います。
大学4年の夏休みは人生最後の夏休みって言われるけど、たしかに今年の8月を思い返せばエンドロールに流れるダイジェストのように、なぜか今まで過ごしてきた全ての夏を余計に思い出してしまいます。
楽しかったこと辛かったこと、意外にも僕には沢山の思い出があって驚いています。
そういえば僕は大学生活では一度も花火大会に行きませんでした。
心残りといえば心残りですが、花火大会に行かなかったことさえも僕にとっては良い思い出です。
8月は夢花火
私の心は夏模様
井上陽水『少年時代』