儚さと美しさって関係あるの?

 

さっきインスタのライブでアメリカ人の女の子がマリファナを吸いながらラテン系の音楽を流して歌ってるってだけの配信を見てた。

その女の子はたぶん20代前半で金髪で華奢な体をしていてとても美人だ。

アメリカ人の特有の明るいチャーミングな笑顔を見せてくれるんだけどマリファナのせいか目が虚ろで、それがアンニュイでシニカルな雰囲気を醸し出していて今までに出会ったことのない類の美しさだった。

なにかドラマチックなことがあるわけじゃなくて、その子が音楽に合わせて歌って時折マリファナを吸うだけの退屈な配信だったけどその美しさに僕は目が離せなかった。

 

ところで日本人はよく儚いから美しいみたいなことを言うけど、これって誰もが納得して受け入れているのだろうか。

僕も感覚的にはなんとなく分かるし受け入れているけど、よく考えると「儚さ」と「美しさ」って因果関係をはっきりと結べるのだろうか。

例えば桜はすぐに散ってしまうから儚くて美しいって言うけど、じゃあもし仮に永遠に散らない桜があったとして人々はそれを見たときに美しいと思わないのかな。

たぶんきっとそうなんだと思う。

 

だって僕がマリファナガールから目を離せないほどの美しさを感じたのはきっと彼女にも儚さを感じたからだと思う。

 

僕たちは義務教育の中でドラッグについて学んだけど、それを大雑把にまとめると一度でも手を出せば人生が終わるってことだった。

本当にただただ憎むべき物として教えられてきた。

 

まぁマリファナは体に悪くないし依存性もないって言われているけど、それはこの際置いておいてドラッグという類で見てしまおう。

 

そんな風に育ってきた僕にとって彼女のマリファナを吸うという行為は自傷的に見えてしまうし、だからこそ彼女の命の有限さを解析的に見せられたように感じてどうしようもない儚さを感じたんだと思う。

 

じゃあいったいどうして儚いと美しいんだろう。

 ネットで調べてもあんまり納得いくような答えはなかったから自分で考えてみる。

まず「儚い」を辞書で調べてみると「消えてなくなりやすい。」「もろくなくなりやすい。」「不確かであてにならない。」って書いてあった。

次に「美しい」は「色・形・音などの調和がとれていて快く感じられるさま。人の心や態度の好ましく理想的であるさまにもいう。」って書いてあって辞書的な意味での関係はなさそうだ。

 

うつくしいで辞書を引いて驚いたんだけど、「愛しい」と書いてうつくしい読めるらしい。

意味は「美しい」と一緒。

つまりいとしさはうつくしさでもあるんだ。

ちなみに「愛しい」(いとしい)の意味は「かわいく思うさま。」「恋しく慕わしい。」「かわいそうだ。」「ふびんだ。」。

 

僕らは儚いものを見ると、特に儚い命を見ると「かわいそうだ。」「ふびんだ。」って思う。

つまり儚いものに愛しさ(いとしさ)を感じているのだ。

そしてその愛しさ(いとしさ)は愛しさ(うつくしさ)であり、つまり美しさ。

 

まとめると

僕らは儚いものに愛しさ(いとしさ)を感じる。

そして愛しさ(いとしさ)は、(うつくしさ)でもある。

つまり僕らは儚いものに美しさを感じている。

っていうこと。

 

なんか結局ただの言葉あそびになっちゃって、本質をまるで捉えられてないけどそういうことにしておく。

 

ちなみに愛しいは、かなしいとも読むから悲劇とかが美しいってのも同じ理由でいけるんじゃないかな。

 

非常にわかりにくい文章になってしまったけど、いつかまた文章力をつけてこの問いにはチャレンジしてみたいと思う。

僕は「愛」って言葉が好きだから、儚さと美しさを結びつけるのは「愛」なんだ!ってなって一人で興奮している。

愛とは何かってことについても大学を卒業するまでにはなんとなく答えを出したいな。