労働CALLING

 

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

年末年始はバイトがクソほど忙しかったので会いたい人にも会えず、読みたい本も読めず、見たい映画も見れず、ひたすらに労働していた。

昨日まで5連勤で今日はお休み。

本当は卒論を仕上げる予定だったんだけど、ブックオフのウルトラセールでたくさん本を買ったから読む。

 

その前にバイトが本当に忙しかったという話を書こう。

 

僕は飲食店でバイトしているから、みんながお休みの年末年始が1番の稼ぎ時だ。

朝の7時から夜の11時まで常に時間に追われながら作業をした。

言葉にできないくらい忙しかった。

常に普段の1.5倍のスピードで動いている感じ。

 

1月1日の朝の一発めに包丁で指を切った。

めちゃくちゃ痛かったけど、痛いって言う暇もないからすぐにバンドエイドを三枚重ね貼りして血を止めて作業に戻った。

1日の労働時間が12時間を超えた頃から、疲れがピークに達して頭が痛くなる。

常に立っているから足が痛くなってきてその場にしゃがみ込みたくなる。

 

疲れたとか痛いとか言ったところで誰かが変わってくれるわけでもないから、手を動かし続けた。

仕事には感情とか感覚とか必要なくて、まるでロボットみたいだなあって思いながら。

そういえば一年生の年始は朝から晩までずっと洗い物をしていて、あまりのしんどさに自分を食洗機だと思い込むことでなんとかやり過ごしていたことを思い出した。

 

最近、人間の仕事がロボットに奪われるみたいな話をよく聞くけど、別に奪われるわけじゃなくて人間をロボットにしてしまうのが仕事なんだ。

本当の意味で人間がロボットに変わる時代になっただけ。

もともと労働とロボットは相性が良過ぎる。

人間と労働はある面で相性が悪い。

あ、今更だけど今回書いている仕事は単純作業的な仕事のことね。

相性が悪い面とは、人間の感情や感覚だ。

嫌だ辛いという感情があるし、痛みや疲れという感覚がある。

そういった悪い面を持たないのがロボットだ。

ロボットには感情も感覚もないからバッテリーが切れるまで働き続ける、ヒューマンエラーもないから仕事の再現性は100パーセントに近いはず。

さっさとロボットに仕事を開け放してしまうのが賢い。

 

近年のロボット化はむしろ労働者達の人間化とも言えるのではないか。

単純作業をロボットに与えることで仕事中に閉じ込めていた感覚や感情を解放する。

これから単純作業者達は、単純作業から解放されて人間らしく働く時代が来るのだと思う。

 

まあ仕事が残っているのかどうかはしらないけど。

仕事が残っていなかったら働かない時代が来たってことでしょう。

最近話題のベーシックインカムみたいな話につながるのかな。

 

僕は1ヶ月くらい禁煙していたんだけど、バイトがあまりにしんどくてタバコを買った。

仕事終わりに火をつけて深く吸い込み、年明けの寒空に白い煙を吐き出す。

目の前が真っ白になるほどの煙。

僕は普段こんなにも多くの息を吸って吐いていたのかと驚く。

普段、自分の呼吸を見ることはないだろう。

でもタバコが吐き出す息を白く染め、僕の呼吸を可視化してくる。

タバコは自分が生きていることを教えてくれる魔法のアイテムだ。

 

低所得者ほど喫煙率が高いという厚生労働相のデータがある。

データがあるかどうかはしらないけど単純作業ほど所得は低くなると思う。

つまり単純作業者ほど喫煙率が高いということになる。

間違っていたらごめん。

 

何故なのかなんとなく僕にはわかる気がする。

単純作業をしている間は人間らしさを閉じ込めなければいけない。

終業後にタバコを吸うことで自分が生きていることを実感し、人間らしさを取り戻すんだ。

実際に単純作業者である僕は終業後にタバコを吸うことで、ああ今日も頑張ったなあと実感することができた。

 

最近急に騒がれだしたロボット化と禁煙化は実は関係あるかもしれない。

 

よし。書きたいこと全部書いた。

 

せっかく1ヶ月も禁煙していたのにまた今日から1日目だ。

ママレード&シュガーソング

 

死刑制度のこととかちょっと書いちゃったから読んだら嫌な気分になるかも。

いちおう注意しときます。

 

このブログは大学四年になってから社会に出るまでの1年間の備忘録的な意味合いで書いている。

つまり、あと約3ヶ月ぐらいでブログは終わらせるつもりでいる。

だから今のうちに書きたいことをたくさん書いとこうと思う。

 

今日書くのは僕が大きくなるにつれて、だんだんと考えるようになったこと。

でも口にしたら人に嫌われそうだから今まで誰にも言わなかったこと。

まあ簡単にいえば世の中って生まれ持ったもので決まることがデカイよねって話なんだけど。

大きなところでいうと、親、ルックス、知能。

親がきちっと躾けてくれなかったら、躾のなっていない人間になるし、親が大学に通わせることのできる経済力がなければ低学歴の人間になる。

低学歴が悪いとは言わないけど、高学歴は良いことだ。

ルックスや知能なんかもいい方が良いに決まってる。

ここからは僕の今までの経験から偏見で語らせてもらうけど、親がちゃんとしてたり、ルックスが良かったり、頭が良い人の方が性格も良いことが多い。

性格が良いから周りにいる人たちも良い人が多い。

やっぱり生まれ持ったもので決まる部分は大きい。

残酷なことだけど世の中ってそういうもんだ。
世の中は公平なんかじゃない。

 

そのことを前提として僕が何年か前から考えてしまうのは、すごい嫌なやつがいたとしても、それって全部が全部そいつのせいじゃないんじゃないかなってこと。

まあでも、そいつのせいじゃなくても、そいつが嫌なやつなことには変わらないけど。

 

すごく上から目線で物事を言っているけど、僕も同じように誰かにとっての嫌なやつっていう自覚はあるから安心してほしい。

 

僕が最近思うのはものすごく悪いことをしたやつがいたとしても、なんていうか、そいつが悪いことをしたっていうのは事実なんだけど、その人がたまたま生まれ持ってなかっただけっていう場合もあるのかなってこと。

 

たとえば、数年前に僕のすぐ近所の高校の生徒がお年寄りを殺してしまって捕まるっていう出来事があった。

地元の友人たちはその犯人が釈放された時に地元に殺人鬼がいるのが怖いから死刑にしてほしいって結構みんな言ってた。

 

僕はなんか違うぞって思っちゃう。

結局は僕が死刑反対派って言うだけの話なんだろうけど。

人間だれしも憎い人はいると思う。

それが殺したいくらい憎い人かもしれない。

でも僕らが人を殺さないのは、殺してはいけないというストッパーを自分の中に持っているから。

でも、もしそのストッパーをたまたま生まれ持たなかった人がいたとしたら。

 

そういう人を死刑にしてしまったら、ナチスが行った優生政策と同じじゃないか。

冷静に考えれば無期懲役なら今後被害を受ける可能性はないわけだから、死刑を望むのは自己防衛のためじゃなくてただの私怨だ。

死刑が犯罪の抑止力になるというデータもないし。

それでも未だに日本が死刑という制度を続けるのは、世の中は公平だっていう考えが根強いからじゃないかな。

生まれ持った時に授かったものはみんな同じで、人はみんな公平だという考え。

 

もっと世の中は公平なんかじゃないってことを積極的に受け入れていくべきなんだ。

だって実際に公平じゃないんだもん。

 

だから努力は必ず報われるなんて無責任なことを大声で言える世の中になってしまう。

林修が言ってたけど、正しい分野に正しい方法でした努力しか報われるはずがないんだ。

正しい分野や、正しい努力ができるかどうかっていうのは生まれ持ったもので決まる。

僕が今から死ぬ気で野球を練習したって野球選手になんかなれないっていうごく当たり前のことを受け入れないのは何故なんだ。

 

じゃあ生まれ持たなかった人はどうするかだけど、やっぱり持ってるものでだけで生きていくしかないんだよ。

僕は高身長でもないし、イケメンでもないし、運動も苦手だ。

だから僕はルックスや運動能力を糧に生きていこうとは思っていない。

人並みの健康や、中程度の知能を糧に生きていく。

それしかないじゃん。

 

大丈夫かなこの文章。

ちょと書きすぎてるかな。

これくらいでやめておこうかな。

嫌われたらやだし。

 

なんかぎすぎすしてしまったので、次はひたすら好きな人について書いたり、年末ジャンボが当たった時の使い道とか書きたいな。

 

年末ジャンボ買ってないけど。

生活力がないという話をだらだらと。

 

生活力が皆無です。

4月からの一人暮らしを意識し始めて、やっと自覚したんですが生活力がありません。

僕は大学四年生の22才で実家で暮らしています。

主体性を大事にしながらも存分に甘やかしてくれる両親の元で育ったため、とてもいい子に育ったのですが生活のために必要な最低の知識がちっとも足りていません。

 

たとえば1週間ほど前の話なのですが、僕の部屋のゴミ箱がいっぱいになっていました。

ゴミを捨てたいのにこれ以上はゴミ箱に入らないという状態に僕は困り果ててしまいました。

普段なら知らず知らずのうちに母親がどうにかしてくれているのですが、知らずの知らずのうちなのでこの問題の解決策を知らぬまま22歳となってしまいました。

ゴミ箱の中身をゴミ袋に移すだけで解決する話なのですが、僕はゴミ袋どこにあるかも分からないし、そもそも今は夜だからゴミ収集車が来るのは朝の話だし。

いやまてよ、曜日によって回収してくれるゴミの種類が決まっていたはずだが、明日はこのゴミを回収してくれるだろうか。

などといろいろ大真面目に思考しました。

結局は母親に「僕の部屋のゴミ箱がいっぱいになっているんだけどあれはどうしたらいいんだろう」と相談することでなんとか解決しました。

昨日の話です。

飲んでいたグリューワインにオレンジの皮が入っていました。

普段オレンジを食べるときは皮は食べませんよね。

そこで僕は急に不安になってしまったのですが、果たしてこのワインに入っている皮は食べても大丈夫なのだろうか、体に害はないのだろうかと。

迷った挙句、一緒にいた彼女に「オレンジの皮は食べても大丈夫だろうか?」と聞いたところ、食べれないものは入っていないはずだから安心していいと言ってくれたので安心して食べました。

そして今日は母親にストーブの灯油の補充を頼まれたのですが、案の定やり方がわからず一からレクチャーしてもらいました。

灯油の補充というものはなかなか奥が深く素人の僕は灯油のタンクに少しこぼしてしまいました。

火事にならないかと本気で心配しました。

 

もういちど書きますが僕は22歳です。

炊飯器も洗濯機も使い方は知りません。

とうぜん税金の納め方も公共料金の払い方もわかりません。

まあでもこう言ったことは皆さん当然のようにこなしてるわけですから、必要に迫られればできるようになると信じているのですが、さすがに最近は心配になってきました。

それと同時に学ぶべきことはまだまだ山のようにあるなぁと嬉しいような気が遠くなるようなため息をつきました。

 

さっき電子レンジの機能を一通りいじってみました。

解凍と温めの違いを知った僕に温められぬものはありません。

やはり生活に必要な知識を身につけるには実践が1番ですね。

 

そういえばそろそろ年末なので来年の抱負をたてようかと思います。

とりあえず社会人一年目ということで「生活力の向上及び、社会人としての〜」です。

〜の部分は社会人になってから決めます。

まだ社会人というものがよく分かっていませんから。

 

僕は結構自分の書く文章が好きです。

まあ自分の好きな文体で書くわけですから当然といえば当然ですが。

しかし、この文章はなんだかすごくつまらないことを長々と書いてしまったなあと思います。

これ以上書いても仕方がないのでそろそろ終わります。

 

年が明けるまでに今年一年のまとめ的な文章書けたらいいなあ。

資本主義ブルースドライバー

 

昨日は社会人1年目の先輩たちとお酒を飲んだ。

来年から社会に出て働く身として気になってしまうのは、やっぱり仕事の辛さとか給料とか。

いつも100円マックを食べている僕からすれば、先輩たちのボーナスの話なんかを聞くのは楽しい。

人の給料を聞くのは失礼にあたるらしいけど、優しい先輩たちだからさらっと教えてくれる。

 

当然仕事は辛いって言ってた。

夜中の3時まで説教をされた話を聞いた。

同期が仕事中に過呼吸で倒れた話も聞いた。

昼休憩の時間も休憩を取れずひたすら作業をしている話も聞いた。

3人の先輩のうち2人はもう転職する時期を決めているらしい。

なるほど、仕事が辛いとはよく聞くが本当の話だったんだ。

1つ上の先輩という僕にとって1番身近な先輩の話だから、やっぱり人ごとなんかではなくて1年後の自分の姿って感じがした。

 

でも仕事が辛いって至極当然の話だ。

それはなぜなら、人がやりたいくないことをやるからお金がもらえるからだ。

人は楽しいと感じることを自分の代わりに誰かにやってもらおうとは思わない。

ましてやそれにお金を払おうとは思うはずがない。

楽しいことは自分でやる。

逆に自分がやりたくないことはお金を払って人にやってもらう。

これが仕事でお金がもらえる理由だ。

当然やりたくないことをやり続ければ辛いし、やりたくないことを真剣に取り組むのはもっと辛い。

だからたまに仕事が楽しいなんて話を聞くと、なにか経済システム的におかしいぞと思ってしまう。

 

やりたくないことって書くのめんどくさいから以降は嫌なことって書くけど、自分でやるのが嫌なことって意味ね。

 

だから最近よく思ってしまう。

僕に嫌なことを強要するならお金をくれって。

だって日本の経済は嫌なことをみんなに振り分けることで回っている。

みんなが生きてく上でのいろいろな嫌なことを少しづつそれぞれが引き受けてその報酬としてお金をもらって、さらにそのお金で誰かに嫌なことをしてもらう。

そうやって日本、というより資本主義は回っている。

 

だから仕事以外で嫌なことをする必要なんてないんだ。

なぜなら僕やあなたがする嫌なことには経済価値があるはずだからだ。

そして仕事以外ではいつも笑ってなきゃいけないんだ。

だってお金の発生しない嫌なことは資本主義の歪だ。

歪が積み重なれば資本主義は崩れる。

資本主義は僕たちのためにあるんだ。

利潤を追求する権利は他人の利潤を阻害しない責任であるはずだ。

 

だから僕と僕の好きな人に嫌なことを強要するならお金を払えって本気で思う。

心が狭いって思われても構わない。

だって僕が資本主義と向き合って、ちゃんと自分の頭で考えて出した答えだから。

 

僕のバイト先はブラック会社だ。

バイトの僕は大したことはないんだけど、社員さんたちは毎日朝早くから来て深夜まで仕事をしている。

忙しい時期になれば1回の出勤時間が24時間を超えてしまうこともあった。

そんな姿を4年間間近で見て来た。

だから僕は覚悟ができていると自分では思っている。

辛いことを受け入れる覚悟と、それに対してお金をもらう覚悟。

僕は仕事が辛いことに対して文句を言うつもりはない。

辛いからやるんだ。

辛いことしてお金をもらうんだ。

 

でもその代わりに、タイムカードを切った後は、ネクタイを外した後は、どうか誰も僕に嫌なことをさせないでくれ。

 

僕はずっと笑い続けるんだ。

あの子と一緒にディズニーランドに行くんだ。

好きな服を着て、好きな本を読んで、好きな子のことを考えるんだ。

もう一度言うけど資本主義は僕たちのためにあるんだ。

これが僕のための資本主義だ。

 

もちろんいろんなことに目をつぶった、偏った意見だってことは分かってる。

バイトしかしたことない、ゆとり世代の幼稚な意見だってことは分かってる。

でも僕はそうやって好きな子と生きて行くつもりだ。

 

お金が愛の数値化なら、胸いっぱいのお金を稼いでやる。

 

今度飲もうねと嘘をつくのさ

 

今日は寒いですね。

あまりに寒いと僕は寒い以外の言葉を発しなくなります。

喋らなければカッコいいみたいな人いるじゃないですか?

この人は冬になるとモテる、みたいなシーズンによって魅力がますみたいなこともあるのかなって今日考えました。

僕の学科の友人の女の子は夏になると可愛くなるから、あの子はやっぱり夏はモテるのかな。

まあ僕は暑いと汗かきまくるし、寒いと語彙力が壊滅するのでシーズンモテみたいのは関係ないですけど。

 

こうも寒いと暖かいものが飲みたいです。

2年前の冬に飲んだホットワインを思い出します。

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2年前のクリスマスにサークルの同期と栄のクリスマスマーケットに参加した時です。

寒空の中飲むホットワインは甘くて暖かくて美味しかった。

僕は味覚にあまり自信がないから食べ物や飲み物の感想は美味しい、美味しくないくらいしか言えないんだけど、、えっと、美味しかったです。

 

美味しかった食べ物については話を聞くことが多いんだけど美味しかった飲み物の話については意外と聞かないなーって思った。

僕は逆に美味しかった食べ物のことはあんまり覚えてないんだけど美味しかった飲み物はよく覚えている。

そんな感じで今日は美味しかった飲み物のについて振り返ってみようと思います。

 

1番最近だと彼女と一緒に行った弾き語りのライブハウスで飲んだジントニックが美味しかったです。

僕はライブハウスやクラブではいつもジントニックを飲むんだけど、そういうところはめちゃくちゃ雑にお酒を作ります。

コップに氷とジンを入れて、片手で使えるホース状のいろんなドリンクが出るやつでトニックウォーターを入れてガシャガシャする。

当然美味しくないです。

でもそこのライブハウスではジンが見たことない種類だったし、トニックウォーターもビンに入っているやつを注文を受けてから開けて使っていました。

やっぱりこだわってるだけあって美味しかったです。

お酒ってありえないほど種類があるじゃないですか。

ジンだけでも何十種類もあるし。

僕はギルビーの安いやつしか買ったことないけど。

お酒にこだわるのはきっと楽しいと思います。

特にカクテルなんかは、数あるお酒の中から自分好みの組み合わせを見つけるわけだから一生ものの趣味にもなりそう。

 

ライブハウスの飲み物といえば、高校生の時に初めてライブハウスに行った時に飲んだウィルキンソンの辛口ジンジャエールが美味しかったです。

当時は未成年なのでおとなしくノンアルです。

飲んだことある人ならわかるけどウィルキンソンの辛口ジンジャエールは凄く辛いです。

刺激物って感じがすごくて大人の飲み物って感じがしました。

初めてのライブハウスに加えて滅多にない夜遊びでしたから、大人の階段を登っている気がしてすごくワクワクしていたのを覚えています。

そんな状況で飲んだから余計美味しく感じたんだと思います。

実際に何年かした後にコンビニで売っていたのを見つけたので飲んだんだけどあんまり美味しくなかったです。

やっぱりその時の気分で味って変わるんだなって思いました。

 

あとは1年生の時に学部の友達と熱海旅行に行った時に飲んだ焼酎のお茶割りが美味しかったです。

コンビニで買った黒霧島を旅館にあったポットで淹れた緑茶で割って飲みました。

お茶割りってあんまり美味しくない焼酎でやるものらしいです。

あんまり風味が良くない焼酎をお茶の風味でごまかすから美味しくなるらしいです。

黒霧島は当時僕が知っている中で最高の焼酎だったから、いつもお湯か水で割ってたんだけどなんとなくお茶で割って見たらすごく美味しくて「もしかして黒霧島ってあんまり美味しくないお酒なのか?」って疑い始めるレベルでした。

僕の中では一周回って今でも黒霧島は最高の焼酎ですけど。

 

他にも20歳の時に年上のお姉さんに泣かされながら飲んだロングアイランドアイスティーとか、父親に連れて行ってもらったバーで飲んだバーボンとかいろいろあるけど長くなったのでこれくらいにしておきます。

僕は別に酒好きではないんですけど、やっぱりお酒が多くなりますね。

 

タイトルはandymoriの『16』という曲の歌詞の一部です。

世界で1番多く使われている嘘は「今度飲もうね」だと思います。

 

 

『ゼロの未来』考察

 

ゼロの未来という映画を見た。

ネットではよく分からん難解映画って感想が多いらしいんだけど、僕はまあまあ自分の中で整理できた。

僕はあんまり考察とか解釈とかするの苦手なタイプだけど、まとまったのが嬉しいからとりあえず書いてみる。

 

世間になじめない天才コンピューター技師のコーエン(クリストフ・ワルツ)は、「ゼロの定理」という謎めいた数式を解くことを義務付けられ、ひとり教会にこもって定理の解明を続ける。ある日、パーティに連れていかれたコーエンは、そこで魅力的な女性ベインスリー(メラニー・ティエリー)と出会う。自分と同じく天才と呼ばれるボブ(ルーカス・ヘッジズ)との交流やベインスリーとの恋を通じて、コーエンは生きる意味を知っていくが……。(以上、映画.comより)

とりあえずあらすじ。

いま読んでみて、あれこんな映画だっけ?ってなっててさそっく不安になってるけど書いて行きましょう。

 

まずこの映画のテーマは人生の意味を問うことに意味はあるのか?というもの。

主人公のコーエンは「ゼロの定理」という謎に取り組みながら人生の意味を教えてくれる電話が掛かってくるのを待っている。

「ゼロの定理」とはおそらくブラックホールの1番奥についての定理だと思う。

ブラックホールは奥に進めば進むほど無限に収縮して行き最終的には、無限に小さな0次元に到達するって言われている。

「無限に小さな0次元=無」ってわけじゃなくて0次元という状態がそこにある。

作業用のPCが何度か「ゼロは100%でなければならない」って言っていたのはこの0という無が確かに存在するというパラドックスのことだ。

だから主人公のやっている「ゼロの定理」の解析はブラックホールの謎の解析。

 

昔MHKの『神の数式』という番組で見たんだけどブラックホールの1番奥の状態は、宇宙の始まりであるビッグバンの始まりと似ていて、ブラックホールの謎を解き明かすことが宇宙の始まりを解き明かすことに繋がるって言ってたような気がする。

つまり主人公はブラックホールの謎=宇宙の始まりを追い求めている。

 

あと主人公が待ち続けている人生の意味を教えてくれる電話について。

主人公が「ゼロの定理」に挑戦している時に電話は掛かってくるけど良く聞き取れないみたいなシーンが前半に何度かあるんだけど、後半に進むにつれていつの間にか電話はかかってこなくなる。

これは「ゼロの定理」を解くという行為と、電話に出るという行為が一体化して、解くという行為だけが残ったんだと思う。

 

つまり宇宙の始まりと人生の意味は深く関係しているということ。

ボブがブラックホールの話をしたあと「宇宙は偶然できただけだ」みたいなことを言う。

「ゼロの定理」を解き明かした時、宇宙が全くの偶然によって誕生したものという結果になれば今僕たちが生きているのもただの偶然で人生の意味など存在しないということになってしまう。

しかし宇宙の誕生に何らかの法則や神様の意図、まあ何でもいいから偶然じゃないっていう結果を見つけることができれば僕たちが生きているのも偶然なんかじゃなくてちゃんと意味があるということになる。

今までは人生の意味を教えてくれる電話を待っていただけの主人公が、「ゼロの定理」に挑戦することで人生の意味を自ら問うようになったってことかな。

ゼロ次元が見つかったとして、意味がある方のゼロ次元と意味がない方のゼロ次元のどちらかになる。

これからは有のゼロ次元と無のゼロ次元って書く。

 

途中に何度かバーチャルイチャイチャ空間が出てくる。

南国ビーチみたいな場所なんだけど映画の中で唯一の自然が出てくる場所。

それがバーチャルっていうちょっとした皮肉にもなってるんだけど。

バーチャル世界も0次元って言えなくもないよね。

だって高さも横幅もないし。

ビーチはずっと風景が変わらなかったから時間という次元もないっぽいし。

イチャイチャ空間はおそらく宇宙が全くの偶然で人生に意味がないという無のゼロ次元をあらわしている。

 

急に書くのがめんどくさくなったので、今日はここで終わります。

明日以降に続きを書きます。

 

Stay tune in 東京 Friday night

 

東京に行ってきました。

東京についてです。

とあるニュースサイトを見ると、東京の人のイメージをアンケート調査していて、結果は1位が他人に無関心、冷たいで51%、2位は急いでいる、歩くのが早いで41%という結果だったらしい。

約半数の人は東京の人に対してネガティヴなイメージがあるらしい。

 

僕も東京の人というか東京そのものに対して寂しいイメージを持っている。

東京の寂しさは地下鉄の中の寂しさに似ているかもしれない。

車両の中には多くの人がいるのにみんなが皆んな、なんのつながりも持たない他人同士のあの感じ。

両隣に座っている人に興味を向けちゃいけないあの感じ。

それが世間のいう無関心、冷たいってことなんだと思う。

 

まあこの話はこれ以上広がりがないから置いておいて。

今回東京に行ってみて1つ東京に対しての印象の変化があったからそれを書く。

 

みんな何となく東京は生きづらい街っていうイメージがあると思う。

僕もそう思っていた。

でも東京はもう生き辛い街ではないと思う。

むしろここ10年ほどで東京は現代人にとって生きやすい街になっている。

そもそも何で生きづらい街っていうイメージがあったかっていうと東京のごちゃごちゃ感が1番の原因だと思う。

言い換えると情報量が多すぎてついていけないのが原因だと思う。

電車に乗ろうとしても路線がありすぎるし、お店が多すぎてどこに入ればいいかわかんないし、あんなに都会の渋谷はまだ開発が進んでいる。

そもそもの情報量が多すぎるし、さらに日々更新されていくもんだからそりゃ疲れるよね。

情報をうまく処理できないとあそこに行きたいのにどの電車に乗ればいいかわからない。

あれが食べたいのにどこにいけば食べられるのか分からない。とか困ってしまう。

でも、ここまでは10年前までの話。

 

今はスマホがあるじゃん。

どの電車に乗ればいいか一瞬でわかるし、食べたい物は検索すれば美味しい店を教えてくれる。

僕たちは田舎者2人だったけどスマホのおかげで乗る電車を間違えることはなかった。

 

情報をきちんと扱うことができれば、東京ほど楽しい街はないと思う。

池袋には自販機が12個並んでいる場所がある。

最初に見たときはびっくりした。

それだけあれば絶対に自分の探していたジュースがあると思う。

そんな感じで東京には生きていくために必要なものは全部揃っている。

遊ぶ場所は豊富だし、東京に売っていないものはないし、1分おきに電車はくるし。

これがしたい、あれが欲しい、って思った時に全部条件が揃っているのはやっぱり楽しいと思う。

 

でもやっぱり物価の高さはネックだから、今東京で暮らしていくために必要なのは自分が納得するだけのお金と、十分なデータ通信量かな。

その2つがあれば東京は住みやすい街なはず。

って、東京に一度行っただけの田舎者が考察しています。

むしろ今はネット環境が整っていなかったり、情報の更新が遅れているような田舎の方が暮らしづらいんじゃないかな。

そもそも必要なものが手に入らなかったりするし。

 

人の多さによる住みづらさはまだ残っているけど、それもきっとそのうちスマホがなんとかしてくれるでしょう。

 

スティーブ・ジョブズまじリスペクト。

 

ぜんぜん関係ないけど僕の友達はスティーブ・ジョブズが死んでから2年くらいiPhoneのアップデートを頑なに拒んでたな。

 

あいつは東京に住むことになったらすぐ死にそうだな。