オレたち花のDS組 ①

 

前回の記事でDSについて書いたけど、それがすごく楽しかったので僕が好きだったDSのゲームソフトについていくつか書こうと思う。

あと今更だけど画像が貼れるってことに気づいたからチャレンジしてみる。

 

DSは大体10年前くらいに発売されて、たしか12月の頭だったのを覚えている。
その年のクリスマスプレゼントは友達のほとんどがDSをもらっていた。

例に漏れず僕もDSをお願いして、さらに祖父にもねだったので『さわるメイドインワリオ』と『きみのためなら死ねる』の2本を手に入れた。

さわるメイドインワリオ』は結構有名なソフトだし、僕はそこまでハマらなかったので『きみのためなら死ねる』について書きたいと思う。

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きみのためなら死ねる』はDSの最初期のソフトの1つでたしかセガから発売されたゲームだった。

何より驚いたのがその衝撃的なタイトルだ。

ポケモンやマリオなどの小学生向けのテーマが並ぶなかにこんなタイトルがあって、それは一際目を惹くものだった。

僕の友人に持っている人は一人もいなかったから、当時から僕はなかなかのサブカルボーイだったのかもしれない。

内容としては、街ですれちがった女性に一目惚れした主人公が「ラブラビッツ」を名乗る集団と共に女性の気を引くためパフォーマンスを披露し、時にはハプニングから女性を守るため奮戦するストーリー仕立てのミニゲーム集である。

全部wikipediaのコピーだけど。

ゲームをよくやる人ならわかると思うけど、ゲームってやっているときは常に楽しいわけじゃなくてちゃんと起承転結があって楽しくない瞬間もある。

でも『きみのためなら死ねる』はオープニングからエンディングまで常に楽しかった。

ノリノリの音楽に合わせて彼女の気を惹くために、ビルとビルの間を一輪車で渡ったり、買い物カートで坂道を走ったりとかめちゃくちゃ具合が笑っちゃうくらい楽しい。

僕が好きだったミニゲームは、彼女と砂浜の焚き火の前で踊りまくるやつ。

彼女が最初にお手本を踊って、それを覚えて同じように踊るっていう単純なものなんだけど、少し変わっているところがあってダンスのコマンドの他にファイヤーボタンがある。

それを押すと焚き火が爆発するっていうだいぶクレイジーなものだ。

後半盛り上がってくると彼女がリズムに乗って焚き火を爆発させまくって、それを真似て僕も爆破させまくるみたいなのが最高に楽しい。

 

ちなみに北米では『Feel the Magic: XY/XX』というタイトルでヨーロッパでは『Project Rub』というタイトルで発売されたらしい。

2つとも拍手したくなるくらいタイトルがいい。

 

その次にハマったのが『すばらしきこのせかい』というゲーム。

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これまたタイトルが特徴的だ。

ちなみに英語版は『The World Ends With You』。

このゲームは当時からすごく評価が高くてテレビでもよくCMを見た。

ストーリーとかはあんま覚えてないから省略するけど、ストーリーもたしか面白かった。

それ以上に僕が好きだったのは音楽と舞台。

戦闘中とかに流れる音楽がとにかくかっこいい曲が多かった。

当時のゲームの音楽ってやっぱりまだピコピコしてるのが多くて、音楽が良いみたいなゲームってそんなに多くなかった気がする。

ジャンルは一言で言うとリミックスなのかな。

ヒップホップとかハードロックとかトランスとか謂わゆる今風な音楽がたくさん収録されていた。

なかでも僕が驚いたのがボーカルの入った曲が何曲かあったことだ。

そして舞台となっているのが渋谷というのも良い。

渋谷のスクランブル交差点やハチ公、109を走り回るのは田舎ぐらしの僕にとって、「東京ってこんなに騒々しいのかー」って思わされて新鮮だった。

東京独特のなぜか少しみんな急いでる感じも再現されていて、人々が早足で人混みを歩くなか、さらに早足でその間を駆け抜ける感じは楽しかった。

 

タイトルの由来がルイ・アームストロングの曲、『What a Wonderful World』から引用されているってエピソードも好き。

『What a Wonderful World』は映画『グドモーニング,ベトナム』で使われているし、とても有名な曲だから聞いたことある人も多いと思う。

I hear baby's crying and I watched them grow
赤ん坊たちが元気に泣いている 彼らが成長するのを見守るんだ

They'll learn much more than I'll ever know
彼らは 私よりもずっと多くのことを学ぶだろう

And I think to myself
そして 心の中で思うんだよ

What a wonderful world.
なんて素晴らしい世界なんだろうって

永遠の名曲だと思う。大好き。

YouTube とかでこの曲を聞こうとすると、映画の映像と一緒に聞ける。

ベトナムの美し自然と戦車や機関銃が混在する風景や戦車に手をついて笑い合う兵士たちがすごく曲とマッチしていて涙が出そうになる。

ぜひ一度チェックしてほしい。

 

なんともう2000字も書いてしまったらしい。

あと2つほど書きたいソフトがあるので一旦終わろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほほえみ天使

 

愛知県の西尾市に「ほほえみ天使」という名前のラブホテルがあるそうだ。

そのホテルについて後輩と地元の友人の2人から話を聞いたことがあるのでわりかし有名なホテルなのかもしれない。

 

僕は行ったことないんだけど、「ほほえみ天使」にものすごく憧れがある。

西尾ということもあって全室オーシャンビューで、なかにはテラス付きの部屋もあるらしい。

さらに「ほほえみ天使」という名前である。

「天使のほほえみ」ではなくて「ほほえみ天使」なところがチープで良い。

 

もう10年近く昔の話だけどニンテンドーDSが全盛期だった頃に「ウィッシュルーム〜天使の記憶〜」というゲームが発売された。

ホテルを舞台とした謎解きアドベンチャーで当時は、「触れる推理小説」みたいなキャッチコピーでテレビでも結構CMが流れていたのを覚えている。

僕は何年か経ってからこのゲームをプレイしたんだけど、舞台となっているホテルがすごく好きだった。

綺麗な高級ホテルではなくて、たしか3階建くらいの古臭くて安っぽい感じのホテルだった。

主人公が宿泊する部屋には「願いが叶う部屋」っていう噂があったようなないような。

 

もう随分昔の記憶だからゲームのストーリーみたいなのは全部忘れてしまったけど、とにかくホテルの寂れ具合が最高だったってことはよく覚えている。

僕はきっと「ほほえみ天使」は「ウィッシュルーム」の舞台みたいなホテルみたいなんだろうなって勝手に想像してる。

特に廃れ具合とかチープさとか。

サブタイトルに天使って単語が入っているってだけの理由でイメージをつなげちゃってるだけなんだけどね。

 

さっきも書いたけど全室オーシャンビューらしい。

ラブホテルといえば夜更かしみたいなところがあるから、きっとその夜更かしのついで的なノリで海から朝日が昇るのを見るために寝ずに起きているカップルがたくさんいるんじゃないかな。

やること終えたカップルが日の出までの数時間どんなふうに過ごすかを考えるのもちょっと楽しい。

きっと二人とも眠いからテンションはかなり低くて、でも好きな人と朝まで過ごすことに少なからずワクワクしていてる。

途切れそうで途切れないなんでもない会話がダラダラ続く感じとかがいいな。

あんまり甘いピロートークとかじゃなくて子供の頃の話とか、好きな映画の話とかそんなのがいい。

テレビで深夜のしょぼい通販番組を見て商品の悪口を言い合って静かに笑い会うのもいいな。

 

そして日が昇ってきたら、二人で窓から日の出を見る。

朝日に照らされて眩しそうに目を細める彼女の横顔をみて「ほほえみ天使とは君のことだったのか」ってバカみたいなことを考えていたら文句なしの百点。

 

そんな感じで泊まったカップルが人に言うほどでもないけど忘れたくないようなエピソードを胸にチェックアウトしそうな感じがして「ほほえみ天使」にすごく憧れている。

全部妄想だけど。

いつか行ってみたい気もするけど、たぶん普通のボロいホテルだと思うから妄想だけに留めとくのがいいのかな。

 

そういえば書いていてDSの「ザ・シムズ2 はちゃめちゃホテルライフ」という僕の大好きなクソゲーを思い出した。

このゲームに出てくるホテルは違う意味でチープですごく良かった。

すごく豪華なハリボテみたいな感じ。

ホテルを経営しながら、砂漠をさまよったり、宇宙人に水鉄砲を食らわせたり、かと思ったらひたすら掃除機をかけ続ける最高なゲームだった。

 

ネットの評判は最悪だったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロマンティックラブイデオロギー黨

 

もうすぐ選挙ですね。

ということで政治について書きたいと思います。

とはいったものの僕は政治に対して全くといっていいほど興味がないです。

ぶっちゃけ今週末の選挙がいったい何を決める選挙なのかも詳しくは分かっていないというバカっぷりです。

最近、後輩に借りた小山田咲子の『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』というエッセイを読んでいます。
その中でたびたび世界情勢や平和に関する話が出てきますが、読んでも「へー」ってバカみたいな顔をして終わってしまいます。

なので政治に興味がないっていうことを書きたいと思います。

 

興味がないものについて何故興味がないのかを説明するのは難しいですね。

とにかく昔から興味がなくて、でもその興味のなさに拍車をかける出来事が大学3年の後期にありました。

僕は当時、社会学という講義を受けていました。

社会学では家族のあり方や大量生産大量消費というスタイル、まあその他もろもろについての講義がありました。

その中で先生が、息子を虐待してしまった母親についての映像を見せました。

その母親は他にも息子を虐待したことがある母親を何人か集めて話し合いの場を設けました。

あまり詳しく覚えていませんが、その話し合いの結論としては社会の中で小さな子供を連れている母親を見かけたら周りの人間が積極的に声をかける事が重要みたいな感じだったと思います。

 

その授業では毎回感想を書いて提出するのですが、僕はこのことについて「母親が出した結論は結局は社会が悪いということだった。

それをあたかも正しいことのように扱っていて虐待した母親達をまるで被害者かのように映し出すのは間違っているのではないか。

社会も悪いかもしれないが、それ以上に悪いと言えるのは母親ではないか。」みたいなことを書いたと思います。

 

その次の週の授業で僕の提出した感想が取り上げられ、「こんなのは感情論で、実際に起こっていることをどうするかを考えなさい。」って言われました。

僕は自分の意見を否定されてスネてさらに社会学が嫌いになりました。

全てを社会が悪いことにして本当に悪いものを悪いと言えない学問なんて嫌いです。

社会学と政治は別物ですが僕はバカなので僕に取っては同じです。

 

そんなことがありさらに政治に興味がなくなりました。

そもそも僕は社会を変えようみたいな取り組みが苦手なんです。

 

僕にとっては政治や社会って微妙なバランスの上に成り立っているような気がしてしまって、あちらを立てればこちらが立たずみたいに、誰かが社会を変えろと主張してその通りになったとしたら、その影響で苦しい思いをする人が新たに出てくるような気がしてしまうんです。

結局イタチごっこみたいになっているんじゃないかと思います。

だから僕は今のルールの中でどうしたら楽しく過ごすことができるかを考える方が有意義だと思うし、その方が自分に合っています。

 

とりあえず今週末は投票に行きますが、どうすれば楽しい投票になるか考えています。

 

〜党の、党という漢字を全部難しい方の黨で書いたらちょっと楽しいかもしれません。

 

おそらく全然楽しくないのでやりませんが。

 

 

 

 

BABY BABY

 

僕が19歳の時に知り合ったお姉さんが「分かり合えないことを前提としてどれだけ許しあえるかが重要なんだ」って言ってた。

19歳の僕にとって22歳のお姉さんの言葉はなんだか一つの真理のような気がして僕はこの3.4年間そうやって生きてきたように思える。

そのせいか僕は今まで言っても伝わらないことは言わないタイプだった。

分からない言葉はわかったフリをしてやり過ごしていた。

そのおかげで誰かを嫌ったり嫌われたりすることは少なかったと思うけど、なんとなくずっと自分は寂しい人間だと思っていた。

だから、せめて分かり合えないことだけを分かり合える人が恋人になってくれればいいと思っていた。

 

でも最近思うんです。

大事なのは分かり合えないから許し合うんじゃなくて、わかり合うことを許しあわなきゃいけないんだって。

 

人と人が分かり合う困難についてはブログを始めたばかりの頃に書いた。

今でも考えは変わらなくて、たまには一切を諦める時だってある。

でも、僕たちが誰かと完全に分かり合うための魔法みたいなものは何処にもなくて、誠実に向き合う以外の方法はないんだ。

自分の弱さも全部見せて分からないことは分からないって正直に言う。

それを許し合う事が出来れば言葉なんていつしかいらなくなるんじゃないかって思うようになった。

 

完全には見えないけど、それでもできるだけ解り合うには、正直でいるしかないんじゃないの。
って小山田咲子さんも言ってたし。

 

誰かを好きになって付き合うのって、分かり合うためのたくさんの時間を消費することなんだ。

その過程は最高に楽しくていつしか忘れてしまうカップルもたくさんいると思うんだけど、僕は忘れたくないって思った。

 

昨日は彼女と季節外れの花火を見にいった。

帰り際に僕はこの子を抱きしめようと思った。

そしたらこの子は抱きしめてって僕に言った。

とても驚いた。

同じことを考えていたんだ。

僕とあの子が同じ感情で抱きしめたいと思ったかどうかは分からないけど、この子を抱きしめたいと思う感情にはもう言葉なんていらないって思った。

そうやって一つ一つ言葉の束縛を壊していければいいなあ。

 

話は変わるけど僕はあんまりアクティブな方じゃないから普段遊ぶ場所は地下鉄で行ける場所しかない。

だから僕が連れていってあげられる場所は地下鉄で30分圏内の場所しかなくて、情けなくなる。

でも来月、再来月はあの子が東京に連れていってくれるらしい。

両方とも僕がすごく行きたかった場所でとても嬉しい。

 

I can show you the world だなぁ。

 

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

 

大丈夫、大丈夫、ごはんを食べれば元気になるよ

                                             村上春樹「図書館奇譚」

 

今日思ったんですが、なんとなく辛いなって感じる時って原因不明なことも多いと思うんですけど、冷静に考えてみると意外とちゃんと理由が見つかったりするものですね。

僕は毎週木曜日は朝からなんか辛いなって感じながら過ごすんですけど、なんで辛いか今日気づきました。

単純に寝不足と空腹と研究室いやってだけだと思います。

木曜日は3.4限が研究室の時間なので先生に卒論の進捗報告をするんですが僕は毎週サボりまくっているので当然報告することがなくていつも後ろめたい気持ちで研究室に向かっていました。

以前はそれだけが辛さの原因だと思っていたんですが、今週はめずらしく卒論を進めて先生に報告する内容も用意したのに朝からずっと辛かったです。

どうやら研究室だけが辛さの原因ではないなと考えて、自分と向き合って見ました。

 

まず眠い。

次に空腹。

 

木曜日は1限から授業に出ています。

僕は基本的に夜中の3時くらいに寝るので当然寝不足です。

そして大学2.3年生のいつも金欠で節約のため昼ごはんを食べなかった時のなごりで僕は基本的に大学では昼ごはんを食べません。

朝ごはんもろくに食べないので1限が終わる頃には空腹です。

 

今まで自分が寝不足だったり空腹だったことは当然自覚がありました。

でも、このなんとなくの辛さとは関係ないような気がしていました。

なんとなく辛いな、それはそうと寝不足だ。

といった具合に。

 

なんとなく辛い時って自分の体がなんとなく辛いオーラに包まれてしまって、そのオーラ越しに世間を見るから普段のように正しく周りを見れていないような気がします。

だから僕は辛い理由が寝不足と空腹にあるってことに気づかなかったんだと思います。

 

自分の辛さと向き合ってその理由をさぐる。

これって一種のカウンセリングのようなものではないでしょうか。

確かに僕は空腹と寝不足に気付いた時に、来週はよく寝てご飯を食べれば頑張れそうだ、という気持ちになりました。

 

そういえばご飯、睡眠とくれば人間の三大欲求のうちの2つですね。

そしてさらに僕は工学部なので1限から4限まで男にしか会いません。

つまり三大欲求の全てが満たされていないかったのですね。

今この文章を書いてて気づきました。

生きて行く上で必要不可欠な3つをおろそかにしていたわけです。

気付いてよかったです。

危うく死ぬところでした。

 

来週の木曜日は前日にちゃんと寝て、お昼ご飯をしっかり食べて、昼休みにサークルの女の子と少しお話しして3.4限の研究室に臨もうと思います。

不思議なもので効果を試したくて早く来週の木曜日が来ないかと思っている自分がいます。

アホですね。

 

 

鑑定した君の憂鬱はただの細胞の羅列で

凡人とは違う何かが一個紛れこんでいました
確定した公共料金はただの生活の記録で

凡人とは違う暮らしに憧れていました

あのオレンジの光の先へ その先へ行く

きっと2人なら全部上手くいくってさ

                                        クリープハイプ〜オレンジ〜

 

 

 

 

 

夜のベイビー

 

京都の映画館のオールナイトイベントに行ってきた。

23時から6時半くらいまで続けて3本の映画を見るっていうなかなか体力のいるイベントだったんだけど最高だった。

《Oh! Teenager Night》って名前のイベントで、その名の通り3本とも十代の青春がテーマの映画だった。

 

僕は高校生のときにずっと一緒に遊んでいた友達と見に行ったんだけど、やっぱり当時のことや当時考えていたことなんかを思い出して休憩時間にタバコを吸いながら2人でそんなことをボソボソ話した。

 

14歳の頃は自分が知らないことがあるってことを知らなかったから何でも知っていた。

怖いものも今よりずっと少なくて、大人になるってのはただこのまま年をとることだと思っていた。

14歳はもう8年も前で当時よりは大人になったけど、まだまだ自分は子供だなって思って大人になるって果てしないなって思った。

 

やっぱり学生って今が一番楽しいみたいなテンションで生きてるけど、当時は当時で間違いなく楽しかった。
中学の頃みたいに自分がどれだけ大人かアピールし合うのも楽しかったし、高校の時みたいにただ大声でみんなと共有するのも楽しかった。
忘れてしまったことは当時の出来事や考えていたことだけじゃなくて、楽しみ方さえ忘れてしまっていたんだと気付かされた。

 

僕はこのイベントの休憩時間がとても好きだ。

次の映画が始まるまでの時間にみんな気分転換に外に出て、血走った目でタバコを吸いながら感想を言い合っているのがとても好きだ。

「外に出ると頭の中すっきりするなー」

「コーヒー買ってくるわ!」

みたいな会話があちこちから聞こえてくるのも好きだ。

2時間弱の映画を見た後の15分の休憩は授業と授業の合間の休憩時間みたいで、みんな時計を見なくても体の感覚で上手く時間を過ごしている感じも好き。

 

3本目の映画が終わって外に出るとすっかり明るくなっていて、暗いところにずっといたぶん朝日がとても眩しくて目を細めながらのろのろ駅まで歩いた。

みんな休憩時間には10代の頃のようにそわそわしていたのに、魔法が溶けたようにすっかり20代の顔に戻っていた。

てか老けてた。

 

最近はすっかり徹夜に弱くなってきているし、夜中に外にいるのも好きじゃないから朝まで遊ぶみたいなことは避けてきたけど思いきって出かけて見てとても良かったと思う。

 

海を見よう! とか言って車を飛ばした 10代の夜から

流れてるよ このbigbeat そしてfunkybase

I wanna B-boy! いけてなかったあの頃の僕はいつも

Look'n for you! 探してたのさ この夜を

ワンダフルボーイズ~夜のベイビー~

 

 

 

本を読むのは楽しいことだ。

 

中島らもの『心が雨漏りする日には』というエッセイを読んだ。

読むのは2回めで最初に読んだのは多分1年半くらい前だ。

僕は基本的に一度読んだ本を読み返すことは殆どない。

今までに2回読んだのは太宰治の『人間失格』と本谷有希子の『生きてるだけで愛』の2冊だけだったはず。

そもそも僕はもともと本が読めない人間だった。

本が読めないことがコンプレックスであり、これではいけないと思い20歳の正月から本を読み始めた。

それまでは教科書以外の活字を読むことはなかった。

いったん本を読み出すと今までの本嫌いが嘘のようにたくさんの本を読んだ。

 

今まで読まなかった分を取り返すように僕はバカみたいに本を読んだ。

去年は1年間で約100冊読んだ。

本好きの人にとって年間100冊が多いのか少ないのか分からないが3.4日に1冊のペースだから今までの20年を考えれば異常なスピードだ。

1冊読み終えると余韻に浸る間も無く次の本を読むことも多かった。

読み終わった本が本棚に並んで行くのがとにかく嬉しかったのだ。

残念ながら教養になっている気はしないが、携帯をいじって1日を終えるよりは本を読んで1日を終えた方が気持ちがいい。

そんなスピード重視の読書をしているわけだから当然一度読んだ本を読み返すことはなかった。

 

しかし、最近は本を読むペースも落ち着き一冊読み終わるとその本について考える時間も増えてきて、今までとは違った楽しみ方もするようになった。

そこでふと考えてしまったのだが、僕は今まで1冊の読むにあたってその本の内容をどれほど理解していただろう。

もちろんスピード重視な読み方をしてきたが理解できない部分は何度も読み返したし、よっぽど難解な内容でない限り作者の言いたいことはわかったつもりでいた。

でも、もしかしたら読み落としていた文章があるかもしれない。

それにたくさんの本を読んだ今なら違った受け取り方もあるかもしれない。

そう考えて今まで読んだ本を読み返してみることにした。

 

そして選んだ本が冒頭に書いた中島らものエッセイ。

なぜ中島らものエッセイかというと僕が初めて好きになってエッセイや小説を集めた作家だからだ。

そのなかから適当に一冊選んで今日読み返した。

 

このエッセイは中島らも躁鬱病の闘病日記みたいなもので、彼の文章はとてもセンシブルなのにロジカルだから躁鬱についての体験や体験から得た考え方がとても分かりやすく、そして面白おかしく書かれていて文句なく面白かった。

読み返すにあたって内容については見落としていた部分はなかったように思えるが2回めともあって新しい発見が1つあった。

 

この本と今まで読んだその他のたくさんの本が繋がるのである。

ある文章を読むと、「あれ、あの作家も同じようなこと言っていたな」「あ、この話はあの本でも書かれていた!」といった具合に。

だからなんだと言われたらそれまでだけど、僕はそれがとても楽しかった。

僕にとって中島らもは奇想天外で唯一無二の人だけど実は同じようなことを考える人もたくさんいて、それを違う言葉で表現している人がいる。

頭の中は宇宙より広いってよくいうけどその宇宙は別の宇宙と重なり合っていて重なった部分を、違った場所から違った望遠鏡で覗く。

見ているものは同じだけど見え方は違う。

そんな当たり前のことに感動したのだ。

 

読み返さなければ気づかなかったことだから、読み返してみてよかったと思う。

最近は本を読むペースも落ちてきてもしかしたら僕はこのまま、また本を読まなくなるのではと思っていた。

だけどそんなことはないと今日確信した。

僕はこれからも本を読む。

 

本を読むのは楽しいことだ。