Hello wordの感覚

 

#include <stdio.h>

int main(int argc, char *args[])
{
printf("Hello, world! ");
return 0;
}

 

ぼくのブログのタイトルはHello worldって名前なんだけど、この意味はきっと情報系の勉強をした人じゃないと分からないと思う。

バンプにもたしかhello worldって曲があったと思うけど、僕はちゃんと聞いたことないしこのブログとは一切関係がない。

 

上に書いた謎の文字列は、プログラミングを学ぶ人が一番最初に作らされるプログラムだ。

なんてことはない、ただ画面に「hello world」って表示させるだけのプログラム。

1ヶ月もプログラミングを勉強すれば息をするように容易に作ることができる初歩中の初歩のプログラム。

英文を勉強するときに初めに「This is a pen.」を学ぶように、足し算を勉強するときに初めにリンゴがいくつあるかで考えるのと同じように、どんな大学の先生でもどんな参考書でもまず最初にこのプログラムを書かせる。

 

ほとんどの人がそうだと思うけど僕は初めてプログラミングに触れたのは大学1年の時だ。

高校で学んだ何の役に立つか分からない勉強を終えて、大学で実践的な勉強にステップアップする。

プログラミングはそのステップアップの代表例と言えると思う。
実践的とはつまり社会に出てから役に立つ、言い換えれば仕事として使うということ。

キーボードを叩くという実際に手を動かして報酬を得るというプログラミングならなおさらだ。

 

プログラミングはコンピューターとの対話とも言えるかもしれない。

コンピューターに日本語で話しかけてもしょうがないからコンピューターにも分かるプログラミング言語を使う。

そして1と0しか分からないバカなコンピューターにも分かるような言葉遣いを選ぶ。

それがプログラミングだ。

 

僕は初めて自分でプログラムを打ち込んで画面に「Hello wold」と表示された時のことをよく覚えている。

手が震えるほどの感動があったのだ。

コンピューターとの対話はいつもの人間に語りかけるのとは全然違ってまさに世界に語りかけているような感覚があった。

これから4年後この実践的な勉強を終えて僕は社会に出るんだと世界に宣戦布告しているかのような気分だった。

 

ぜんぜん大したことではないんだけど、ただ教科書を丸写ししただけなんだけど、僕は確かに世界に触れて少し大人になった気がしたんだ。

 

中島らもの『今夜、すべてのバーで』という小説でこんなセリフがある。

「子供なんてのは、人生の中で一番つまらないことをさせられてるんだからな。私だって十七までに面白いことなんて何ひとつなかった。面白いのは大人になってからだ。ほんとに怒るのも、ほんとに笑うのも、大人にしかできないからだ。小学生には、壁の棚の上に何がのっかってるかなんて見えないじゃないか。そうだろ?」

「つまらない勉強ばかりさせられて、嘘っぱちの行儀や礼儀を教えられて。大人にならずに死ぬなんて、つまらんじゃないか。せめて、恋人を抱いて、もうこのまま死んでもかまわないっていうような夜があって。天の一番高い所からこの世を見下ろすような一夜があって。死ぬならそれからでいいじゃないか。そうだろ。ちがうかい?」

 

中島らもの言いたいこととは違うかもしれないけど僕にはなんとなくこのセリフの意味が分かる気がする。

高校では微分積分三角関数を習ったけど一体

 それがなんの役に立つかなんて分からなかった。

でも大学に入って、少し大人になってそれらの本当の意味と本当の使い方を学んだ。

斉藤和義の『ずっと好きだった』であの時のキスの意味を教えてよ、みたいな歌詞があるけど今ならキスにもいろんな意味があることが分かる。

 

大人になるってどういうこと?って大人達に聞くと十人十色の答えが返ってくる。

絶対的な答えなんてないんだけど、きっと少しずつ社会や世界のいろんな仕組みを理解することが大人になるってことなんだ。

大人になれば「Hello wold」って表示された時の感覚がたくさんあるのかな。

やっぱり大人にならずに死ぬなんてつまらないよ。

 

そんなわけでブログのタイトルにしちゃうぐらい「Hello wold」という言葉が好きだ。

あの時の衝撃を超えるような出来事はまだないけど大学に入ってから楽しいと思えることが劇的に増えた。

 

僕は大学4年生で22歳。

ハロー 世界

もうすぐ社会に出るよ。

 

 

最高のパンチライン

 

hip-hop用語でパンチラインという言葉がある。

とくにフリースタイルバトルなんかで用いられることが多い。

フリースタイルバトルとはその名の通りDJが流すビートに自由に乗ってラップでバトルすることだ。

ここ1年くらいでフリースタイルダンジョンという番組が大流行しているから知っている人は多いと思う。

 

そしてパンチラインとは本来はオチ、インパクト、印象に残る部分、という意味らしい。

要は決め台詞やグッとくる言い回しのことで、バトル中にうまくパンチラインが決まればそれだけで勝敗が決まってしまうくらい重要なものだ。

 

呂布カルマというラッパーがいる。

パンチラインの代名詞とも言えるラッパーだ。

例としてそんな呂布カルマのパンチラインを紹介する。

 

これがボクシングならありえねえ

言葉のウェイトに差がありすぎる

お前ん家にあるだろ俺のCD

お前ん家でいつもラップしてるやつがここにいるぜ?

 

フリースタイルバトルはよりヤバいことを言った方が勝ちというヤバいルールだから、こんなことを言われたら対戦相手も観客もひとたまりもないんじゃないかな。

 

パンチラインは映画や音楽にも存在する。

有名なのは『カサブランカ』という映画で主人公であるハンフリー・ボガードの「君の瞳に乾杯」というセリフだろう。

個人的に好きなのは主人公を訪ねてきた女性を冷たくあしらうシーンのセリフだ。

 

「昨夜はどこにいたの?」
「そんな昔のことは忘れた。」
「今夜は会ってくれるの?」
「そんな先のことは分からないさ。」

しびれるくらいカッコイイから真似したいと思うけど僕が真似したら女性側からものすごい反感を買いそうだからぐっと我慢している。

 

あと思いつくのはターミネーターの「I'll be back」とか、燃えよドラゴンの「考えるな感じろ」とかかな。

 

映画のパンチラインはそれまでのストーリーや映像があるからシンプルなものが多い気がする。

 

ラップバトルや映画や音楽などの様々な作品の中で僕が最も最強だと思うパンチラインは「A Whole New World」の歌い出しだ。

映画『アラジン』の主題歌で、いつもお城の中にいるジャスミンをアラジンが魔法の絨毯に乗せて外の世界を見せてあげるシーンで流れる。

 

I can show you the world

世界を見せてあげよう。

 

僕たちがライブにいったりディズニーランドに行ったり映画を楽しむのはそれが非日常だからだ。

日常ってやっぱり退屈だ。

吉本バナナは日常を細分化して普段見落としている小さな幸せを見つける大切さを描く僕の大好きな作家だけど、それではやっぱり少し物足りない。

YUKIは『JOY』の中で

死ぬまでドキドキしたいわ

死ぬまでワクワクしたいわ

って歌ってて、それは僕らの切実な願いの代弁に他ならなくて、そんなドキドキワクワクする非日常を僕らは心から欲しているのだ。

 

初めて友達と酒を酌み交わした日をよく覚えているし、初めてクラブに行った夜をよく覚えている。

そんな非日常をよく覚えている。

 

アラジンはお城の中で退屈に過ごすジャスミンの日常にドキドキワクワクするような全く新しい世界、つまり非日常を与えた。

やっぱり「I can show you the world」は最強のパンチラインで最強の口説き文句だ。

こんなセリフを言われたら手を取る以外の選択肢はないし、目をつぶる理由はどこにもない。

 

アラジンのような存在に出会いたいと思うし、アラジンのような存在になりたいと思う。

魔法の絨毯に乗って世界を旅して、好きな女の子に最高のパンチラインをお見舞いしてやれるような存在に。

 

 

最後にはきっと僕こそがラブマシーン

君にずっと捧げるよファンタジー

ブギーバット、シェイクイットアップ神様がくれた

甘い甘いミルク&ハニー

小沢健二 featuring スチャダラパー今夜はブギー・バック

 

 

書きたいこと

 

最近ブログを書いたり消したり、投稿したり削除したりを繰り返している。

僕は多くの人に見てもらいたいからブログを始めたわけじゃなくてただ自分の現在の頭の中を書いて客観的に読めるようにしたいから始めた。

 

だったらネットに公開せずに家でノートにでも書いてれば良いかなって思うこともあるけど、やっぱりそれだとあんまり客観的に読み返すことができないような気がするし、ネットに公開するのが実は楽しいってのもある。

 

公開する以上は僕以外の人が読むわけで、他人が読むんだからクオリティの高い文章を書かなきゃって思うと変に格好つけちゃったり、思ってもないことを書いちゃったりして、本当に書きたいことを書けなかったりする。

だから書いたり消したり、投稿したり削除したりを繰り返してしまう。

 

僕の頭の中には文章が並んでいるわけじゃなくて、なんとなくぼんやり考えてることとか好きな単語があって、ちゃんとオチがあったり理論的なことなんて殆どない。

 

頭の中をただ書くだけなら、それはきっと意味不明な文章だったり、単語の羅列になっちゃったりすると思う。

本当はそういうものが書きたかったはずなのに、誰かが読んでくれたら嬉しいし、お気に入りしてくれる人がごく僅かいるのもすごく嬉しかったりする。

 

といった具合に最近は独りよがりな文章を書いたり、かと思ったら変に力の入った文章を書いたりしてしまっている。

誰に向けたわけでもない文章を書くのって実は難しいんだなって思った。

当たり前だけど一口に文章と言ってもいろいろあるんだな。

 

オチはないけどこの文章はフラットにかけたような気がするから公開します。

 

 

就活 2ヶ月

 

就活を始めてから2ヶ月が過ぎた。

僕の先輩に就活の話を聞くと楽しかったと答える人がいる。

またその辛さを具体的なアドバイスとともに語ってくれる人もいる。

その一方で固く口を閉ざしてなにも語ってくれない人もいる。

 

去年の10月ごろバイト先の先輩がやっと内定が出たと言って泣いて喜んでいたのを見た。

その一方で早くから推薦で内定をもらってバイトと遊びに精を出している先輩がいた。

また卒業するまで就活をせずにゼミの先生がコネで用意した職場に就職した先輩がいた。

 

正しい就職活動とはなんなのだろう。

就職活動を頑張るとはなんなのだろう。

 

10月まで就活をした先輩と推薦で早くから内定をもらった先輩のどっちが正しいかなんて僕には分からない。

 

就活を楽しかったと答えた先輩は単純に就活が得意だったのだろう。

実際に多くの内定をもらっていた。

多くの内定をもらうことが就活を頑張るということなのか。

 

もしくは第一希望の職場に内定をもらうために努力することが就活を頑張るということなのか。

しかしどう努力したって入れない企業がある。

僕の大学はあまり偏差値はいい方ではないから、周りの人たちはあの企業は学歴的に無理だといった話をする。

それは僕らの勝手な諦めではなくて、実際に過去のデータと照らし合わせた客観的な諦めである。

最初から入ることが出来ないと分かっている職場が第一希望なのだとしたら、それに向かって努力するのは就活を頑張ると言えるのだろうか。

 

最近は就活の正しさとは最高のタイミングで就活を終わらせることなのかなってぼんやり考えたりする。

 

就活を続けるには体力と根気がいる。

なぜなら就活が終わるまでは否定をされ続けるからだ。

それは確かな精神的な苦痛であり、その苦痛に耐えることが出来ず自殺してしまう人だっている。

 そんな辛いことはさっさと終わらせてしまうに越したことはない。

内定なんて選ばなければすぐ貰える。

だから自分の体力と将来設計と相談してここだという時に幕を引くことが出来ればそれは正しい就活だと思う。

 

とはいってもそれこそが一番就活の難しいところだというのは分かっている。

就活をするたった1年間頑張れなかったために今後働いていく40年に後悔なんかしたくないと考える人が大半だろう。

 

実際に僕は1つ内定を頂いているが、だらだらと就活を続けている。

同じ大学の人が入れるはずないと諦めている企業のエントリーシートを夜な夜な書いている。

会社説明会を予約したり、キャンセルしたりを繰り返して2ヶ月がたった。

 

就職活動は6月からが本番というけどじゃあ今までの2ヶ月は何だったのだろう。

これからの約3ヶ月はどうなってしまうのだろう。

ここまで書いて僕は就活への意思が固まったなんてことはまるっきりなくて、ただただ言い知れない不安の輪郭に触れてみただけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

銀河鉄道の夜

 

今日は1日家に閉じこもってベッドで銀河鉄道の夜を聞き比べていた。

 

峯田和伸が中心のGOING STEADYというバンドが2001年に『さくらの唄』というアルバムで発表したのが最初の「銀河鉄道の夜」だ。

GOING STEADY解散し峯田は銀杏BOYZというバンドを結成し2005年に『DOOR』で再び「銀河鉄道の夜」を歌う。

そして峯田以外のメンバーは全員抜け2014年に1人で『光の中に立っていてね』を発表。

そのなかに「新訳 銀河鉄道の夜」がある。

 

僕は今までGOING STEADY銀河鉄道の夜こそが本物だと思ってた。

とくに新訳 銀河鉄道の夜は蛇足に近いとすら思っていた。

 

今日真剣に全部を聞き比べてみて新訳の良さに気がついたのでそのイメージについて書こうと思う。

 

新訳は良さは何と言ってもドラマチックさだ。

聞こえてくる音の1つ1つが頭の中で楽譜ではなく映像として広がる。

一発めのコーラスの効いたギターのアーミングがその世界へと引き込む。

 

点、夜の口がまた閉じていく、汽笛の湯気に
猫、歌う讃美歌、あわれむな、僕はここ
東南東わずかに東に骸骨島が沈みます

 

重々しく峯田が歌い出す。 

今までの銀河鉄道の夜とは歌詞が違う。

歌詞に何処と無く素朴な匂いが漂う。

まるで宮沢賢治の詩のようだ。

 

ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか

そしてこの曲の中で最大のメッセージがここにくる。

この歌詞はやっぱりGOING STEADYの頃から変わらないなあ。

南風は椰子を揺らし、シリウスは瞬いて
あなたは僕のはじまりで、あなたは僕の終わり

 

そして汽笛を打ち鳴らすかのようなギターで列車が登場する。

ドラムのハイハットに合わせて車輪は回り出す。

ベースの低音は通り過ぎる風景がぐんぐんと遠ざかって行くイメージだ。

 

街灯はぼんやりと点いたり消えたりした
靴音はこつこつと響いたり止まったりさ
シベリア鉄道乗り換え、中野駅で降ります
ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか

バックでなっている2本のギターの掛け合いが素晴らしい。

イヤホンで聞いてもこのギターは少し遠くで鳴っているように聞こえて、この曲の空間的な広がりを感じさせる。

恋人たちは夢のなか、静かに歌うのでした
あなたは僕のはじまりで、あなたは僕の終わり

銀河鉄道の夜
僕はもう空の向こうに
飛びたってしまいたい
あなたをおもいながら

サビで列車は地上を離れ天を目指す。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は地上を走る列車なんだけど、そんなことは関係ない。

列車の頭のライトが雲の切れ間から空を照らす。

それに答えるように星が強く輝く。

 

そしてサビが終わるとカノンが始まる。

ここで全てのイメージはスローモーションになる。

なり続ける鈴。

これでもかと弾かれるクラッシュ。

上がったり下がったりを続けるベース。

バックでなる煌びやかなストリングス。

ハムバッカーの力強いギター。

峯田が問いかけるように読み上げる詩。

 

その全てが重なり合って素晴らしい景色を作り上げる。

列車は雲を抜け空と宇宙の境界線を走る。

銀河鉄道の夜

それはまるで彫刻のような夜だ。

教会の大きなステンドグラスが夜空に浮かぶような美しい夜。

この曲の中で「星」という言葉は一度も使われていないのに僕は何十個もの星を見た気がする。

 

ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか

銀河鉄道の夜
僕はもう空の向こうに
飛びたってしまいたい
あなたをおもいながら

そして再び列車は加速する。

美しい夜空に浮かぶ武骨な列車は振り返ることを知らず突き進む。

本当に宇宙の果てまで行ってしまいそうなほど。

 

最後のサビが終わると峯田が鳴き声のような叫び声をあげる。

不安、苦しみ、悲しみを背負った声

そして気づかされる。

鉄道は止まらないのではなく、止まることができないのである。

 

ここが他の銀河鉄道の夜との最大の違いだと思う。

GOINGSTEADYの銀河鉄道の夜は誰にも止められぬほどのスピードで走り続けた。

銀杏BOYZ銀河鉄道の夜は確かにレールを噛みしめるように進み続けた。

 

新訳 銀河鉄道の夜はいつしか止まれなくなってしまった鉄道だったのだ。

 

音楽っていうのは同じ人が聞いても、その時々で感じ方が違う。

適当に聞き流していた曲が涙が出るほど染み渡ったり。

気が狂うほど聞いた曲がただのBGMになったりする。

 

4月30日の午前2:30の僕にとって新訳 銀河鉄道の夜はこんな曲だ。

そして今現在の僕が世界で一番好きな曲だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三代目魚武濱田成夫という詩人

 

はてなブログのアプリにはアクセス解析っていう機能があって、それを見るとごく僅かだけど読んでくれた人がいるらしい。

読んで欲しくて始めたわけじゃないけどなんか嬉しい。

 

ところで今日は詩人の紹介をしてみようと思う。

読んでほしいわけじゃないのに紹介ってのもへんな感じするけど。

 

三代目魚武濱田成夫(さんだいめうおたけはまだしげお)という詩人だ。

紹介といっても詩集を二冊持っている程度で彼について全然詳しくないのでWikipediaを引用しまくる。

Wikipedia より

三代目魚武濱田成夫(さんだいめうおたけはまだしげお、男性、1963年11月12日 - )は、兵庫県西宮市出身の詩人、芸術家、ミュージシャン。

自分を讃える詩しか詠わないことをコンセプトにした詩人であり、全ての作品は自分の為に製作している。

いきなり目を疑うようなことが書いてある。

RADWINPSの野田洋次郎は彼女のことが好きすぎて、彼女へ向けた曲だけでアルバムを作ったという話を聞いたことがあるが、こいつは野田洋次郎ヤバさをぶっちぎってる。

 

まず詩集のタイトルがイカれている。

『君が前の彼氏としたキスの回数なんて俺が3日でぬいてやるぜ』

『1分後の未来よもうすぐ俺が行くで道あけとけ』

『俺には地球が止まってみえるぜ』

 

これ全部詩集のタイトルよ。

 

ちなみに僕が持っている詩集は

『おまえがこの世に5人いたとしても5人ともこの俺様の女にしてみせる』

『生きて百年ぐらいならうぬぼれつづけて生きたるぜ』の2つ。

 

どうなってんだよこいつ。

自分好きすぎるでしょ。

自分を讃える詩ってなんだよって思ったけど言葉通りの意味すぎて驚く。

 

このタイトルを「きめぇ‼︎」って思う人が大半だと思う。ごく一部の稀な人間が「ワロタww」って詩集を手に取る。

勘違いしてはいけないがファーストコンタクトで「かっこいい‼︎」って思う人間は世界のどこにもいない。

 

とにかく紹介したい詩が大量にあるがその一部を載せる。

24金より32俺

「18金より 24金 24金より 32俺」

めんどくさいから

「めんどくさいから いきなり茶店で 最初から俺は アイスコーヒー4杯注文した 「俺アイスコーヒー4杯。」」

20時間ほど

「さあ 20時間ほど仮眠するわ」

みつめてくれ

「おい、そこの女 場合によってはキスや 今から それを決めるから 俺を みつめてくれ」

負けずギライの奴へ

「俺様は 負けずギライの奴に ボロガチすんのが 大好き」

本日も

「本日も俺がみなぎりやがるぜ。」

 

正直にいうと詩のチョイスに悪意はあるものの基本的にこんなテンションで一貫されている。

タイトルに恥じない内容だ。

いい意味であまり他人に感情移入しないタイプの人は楽しめると思う。

 

『おまえがこの世に5人〜』の方の詩集の後半にものすごい迫力の詩が並んでいるのでそれを紹介して終わろうと思う。

 

3俺

「                           俺俺俺」

5俺

「                     俺俺俺俺俺」

11俺

「             俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺」

 

ページをめくるたびに18俺、21俺、35俺と、俺という文字の数が増えていき最終的には1261俺という詩になる。

1261個の俺という文字を前にしたときどんな気持ちになるか、それはこの詩集に向き合った人間にしか分からないだろう。

 

三代目魚武濱田成夫

すげえよ。