銀河鉄道の夜

 

今日は1日家に閉じこもってベッドで銀河鉄道の夜を聞き比べていた。

 

峯田和伸が中心のGOING STEADYというバンドが2001年に『さくらの唄』というアルバムで発表したのが最初の「銀河鉄道の夜」だ。

GOING STEADY解散し峯田は銀杏BOYZというバンドを結成し2005年に『DOOR』で再び「銀河鉄道の夜」を歌う。

そして峯田以外のメンバーは全員抜け2014年に1人で『光の中に立っていてね』を発表。

そのなかに「新訳 銀河鉄道の夜」がある。

 

僕は今までGOING STEADY銀河鉄道の夜こそが本物だと思ってた。

とくに新訳 銀河鉄道の夜は蛇足に近いとすら思っていた。

 

今日真剣に全部を聞き比べてみて新訳の良さに気がついたのでそのイメージについて書こうと思う。

 

新訳は良さは何と言ってもドラマチックさだ。

聞こえてくる音の1つ1つが頭の中で楽譜ではなく映像として広がる。

一発めのコーラスの効いたギターのアーミングがその世界へと引き込む。

 

点、夜の口がまた閉じていく、汽笛の湯気に
猫、歌う讃美歌、あわれむな、僕はここ
東南東わずかに東に骸骨島が沈みます

 

重々しく峯田が歌い出す。 

今までの銀河鉄道の夜とは歌詞が違う。

歌詞に何処と無く素朴な匂いが漂う。

まるで宮沢賢治の詩のようだ。

 

ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか

そしてこの曲の中で最大のメッセージがここにくる。

この歌詞はやっぱりGOING STEADYの頃から変わらないなあ。

南風は椰子を揺らし、シリウスは瞬いて
あなたは僕のはじまりで、あなたは僕の終わり

 

そして汽笛を打ち鳴らすかのようなギターで列車が登場する。

ドラムのハイハットに合わせて車輪は回り出す。

ベースの低音は通り過ぎる風景がぐんぐんと遠ざかって行くイメージだ。

 

街灯はぼんやりと点いたり消えたりした
靴音はこつこつと響いたり止まったりさ
シベリア鉄道乗り換え、中野駅で降ります
ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか

バックでなっている2本のギターの掛け合いが素晴らしい。

イヤホンで聞いてもこのギターは少し遠くで鳴っているように聞こえて、この曲の空間的な広がりを感じさせる。

恋人たちは夢のなか、静かに歌うのでした
あなたは僕のはじまりで、あなたは僕の終わり

銀河鉄道の夜
僕はもう空の向こうに
飛びたってしまいたい
あなたをおもいながら

サビで列車は地上を離れ天を目指す。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は地上を走る列車なんだけど、そんなことは関係ない。

列車の頭のライトが雲の切れ間から空を照らす。

それに答えるように星が強く輝く。

 

そしてサビが終わるとカノンが始まる。

ここで全てのイメージはスローモーションになる。

なり続ける鈴。

これでもかと弾かれるクラッシュ。

上がったり下がったりを続けるベース。

バックでなる煌びやかなストリングス。

ハムバッカーの力強いギター。

峯田が問いかけるように読み上げる詩。

 

その全てが重なり合って素晴らしい景色を作り上げる。

列車は雲を抜け空と宇宙の境界線を走る。

銀河鉄道の夜

それはまるで彫刻のような夜だ。

教会の大きなステンドグラスが夜空に浮かぶような美しい夜。

この曲の中で「星」という言葉は一度も使われていないのに僕は何十個もの星を見た気がする。

 

ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか

銀河鉄道の夜
僕はもう空の向こうに
飛びたってしまいたい
あなたをおもいながら

そして再び列車は加速する。

美しい夜空に浮かぶ武骨な列車は振り返ることを知らず突き進む。

本当に宇宙の果てまで行ってしまいそうなほど。

 

最後のサビが終わると峯田が鳴き声のような叫び声をあげる。

不安、苦しみ、悲しみを背負った声

そして気づかされる。

鉄道は止まらないのではなく、止まることができないのである。

 

ここが他の銀河鉄道の夜との最大の違いだと思う。

GOINGSTEADYの銀河鉄道の夜は誰にも止められぬほどのスピードで走り続けた。

銀杏BOYZ銀河鉄道の夜は確かにレールを噛みしめるように進み続けた。

 

新訳 銀河鉄道の夜はいつしか止まれなくなってしまった鉄道だったのだ。

 

音楽っていうのは同じ人が聞いても、その時々で感じ方が違う。

適当に聞き流していた曲が涙が出るほど染み渡ったり。

気が狂うほど聞いた曲がただのBGMになったりする。

 

4月30日の午前2:30の僕にとって新訳 銀河鉄道の夜はこんな曲だ。

そして今現在の僕が世界で一番好きな曲だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三代目魚武濱田成夫という詩人

 

はてなブログのアプリにはアクセス解析っていう機能があって、それを見るとごく僅かだけど読んでくれた人がいるらしい。

読んで欲しくて始めたわけじゃないけどなんか嬉しい。

 

ところで今日は詩人の紹介をしてみようと思う。

読んでほしいわけじゃないのに紹介ってのもへんな感じするけど。

 

三代目魚武濱田成夫(さんだいめうおたけはまだしげお)という詩人だ。

紹介といっても詩集を二冊持っている程度で彼について全然詳しくないのでWikipediaを引用しまくる。

Wikipedia より

三代目魚武濱田成夫(さんだいめうおたけはまだしげお、男性、1963年11月12日 - )は、兵庫県西宮市出身の詩人、芸術家、ミュージシャン。

自分を讃える詩しか詠わないことをコンセプトにした詩人であり、全ての作品は自分の為に製作している。

いきなり目を疑うようなことが書いてある。

RADWINPSの野田洋次郎は彼女のことが好きすぎて、彼女へ向けた曲だけでアルバムを作ったという話を聞いたことがあるが、こいつは野田洋次郎ヤバさをぶっちぎってる。

 

まず詩集のタイトルがイカれている。

『君が前の彼氏としたキスの回数なんて俺が3日でぬいてやるぜ』

『1分後の未来よもうすぐ俺が行くで道あけとけ』

『俺には地球が止まってみえるぜ』

 

これ全部詩集のタイトルよ。

 

ちなみに僕が持っている詩集は

『おまえがこの世に5人いたとしても5人ともこの俺様の女にしてみせる』

『生きて百年ぐらいならうぬぼれつづけて生きたるぜ』の2つ。

 

どうなってんだよこいつ。

自分好きすぎるでしょ。

自分を讃える詩ってなんだよって思ったけど言葉通りの意味すぎて驚く。

 

このタイトルを「きめぇ‼︎」って思う人が大半だと思う。ごく一部の稀な人間が「ワロタww」って詩集を手に取る。

勘違いしてはいけないがファーストコンタクトで「かっこいい‼︎」って思う人間は世界のどこにもいない。

 

とにかく紹介したい詩が大量にあるがその一部を載せる。

24金より32俺

「18金より 24金 24金より 32俺」

めんどくさいから

「めんどくさいから いきなり茶店で 最初から俺は アイスコーヒー4杯注文した 「俺アイスコーヒー4杯。」」

20時間ほど

「さあ 20時間ほど仮眠するわ」

みつめてくれ

「おい、そこの女 場合によってはキスや 今から それを決めるから 俺を みつめてくれ」

負けずギライの奴へ

「俺様は 負けずギライの奴に ボロガチすんのが 大好き」

本日も

「本日も俺がみなぎりやがるぜ。」

 

正直にいうと詩のチョイスに悪意はあるものの基本的にこんなテンションで一貫されている。

タイトルに恥じない内容だ。

いい意味であまり他人に感情移入しないタイプの人は楽しめると思う。

 

『おまえがこの世に5人〜』の方の詩集の後半にものすごい迫力の詩が並んでいるのでそれを紹介して終わろうと思う。

 

3俺

「                           俺俺俺」

5俺

「                     俺俺俺俺俺」

11俺

「             俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺」

 

ページをめくるたびに18俺、21俺、35俺と、俺という文字の数が増えていき最終的には1261俺という詩になる。

1261個の俺という文字を前にしたときどんな気持ちになるか、それはこの詩集に向き合った人間にしか分からないだろう。

 

三代目魚武濱田成夫

すげえよ。

 

 

 

CITY LIGHTS

昨日の文章を読み直してみたがすげえ恥ずかしかった。
僕は自分が書いている文章に感情移入してセンチメンタルが加速してしまうということが分かった。
なかなかフラットな文章を書くのは難しいんだなあ。

昨日の文章は本当は女の子が東京に彼氏がいるってところから、僕の東京に対するイメージと憧れに繋げようと思ってたんだけど、そんなことはすっかり忘れて熱の入った文章を書いてしまった。

東京ってやっぱり特別だよねっていう普通のことを書きたかっただけなんだ。
僕は東京にたいした思い出はないけど思い入れはある。
それはやっぱりいろんな作品が東京をテーマにしているからだと思う。

毛皮のマリーズ弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」という曲がある。
くるりに「東京」という曲がある。
銀杏BOYZに「東京」という曲がある。
僕が大好きな曲だ。

マリーズは東京を「愛しきかたちないもの」と表現し、くるりは「君のいない場所」と表現し、銀杏BOYZは「2人を通り過ぎたなんでもない毎日」と表現した。

僕は大学2年の夏休みに東京に行った。
東京は本当に怖かった。実際に怖い思いもした。
僕が夜の渋谷に1人で行くことは二度とないだろう。
渋谷には人の悪意というものが集まっていた。

最果タヒの「君はかわいい」という詩の一部を引用する。

みんな知らないと思うけれど、なんかある程度高いビルには、屋上に常時ついている赤いランプがあるのね。それは、すべてのひとが残業を終えた時間になっても灯り続けていて、たくさんのビルがどこまでも立ち並ぶ東京でだけは、すごい深い時間、赤い光ばかりがぽつぽつと広がる地平線が見られるの。

東京で見る景色は本当に自分の目で見たものが素直に映るんだろうなって思う。
ちょっと表現が難しいけど、たとえば景色を見るときに自分が中心にいるように景色を見ることがある。
でも東京では自分が端っこにいるような気持ちで景色を見ることになる気がする。

東京の夜は悪意が集まっている。
東京ではいつだってすみっこ。

どう考えたって1人では生きていけないよ。

きっと東京で出会った2人は愛し合うしかないんだと思う。
手を取り合って誰もさわれない2人だけの国が出来上がり、そこで恋人たちは寄り添って静かに歌うのだ。

だからこそ東京は美しい。

梅ヶ丘のアパート、下北沢のライブハウス、小田急線の終電、渋谷のスクランブル交差点、お台場のアミューズメント

どうしてなんでもない単語がこうもキラキラした切なさを帯びているんだろう。

 

就活が終わったら東京に行きたいな。
東京で好きな音楽を聞いてそれに合わせて東京のすみっこで愛し合う恋人たちを想像したい。

 

まぁこんなやばいことを言うのは日本で僕1人くらいなんだと思うけどさ。

 

 

銀色の夢に沈む夜 きみは僕だけのビューティー

 

4月17日は僕にとって20番目くらいに大事な日だ。

大学で初めて好きになった子の誕生日だ。
 その子とは大学1年の入学直後に出会った。
 
彼女は隣の大学に通っていたが、僕の大学のサークルに参加していた。
僕たちはお互い全くと言っていいほどサークルに馴染むことができず、次第にサークルには参加しなくなり2人で映画を見たり、彼女の家の近くのサイゼリアで安いご飯を食べたりして、高校生のカップルのように遊んでいた。
 
大学1年の4月に出会って1ヶ月もしない間に僕たちは仲良くなった。
僕は彼女が大好きだった。僕の大学人生で一番のルックスの持ち主で、富山弁まじりの毒気のない喋り方をし、華奢な体にGUで買ったというパーカーがよく似合っていた。
 
僕たちは恋人ではなかった。
彼女には高校二年から付き合っている彼氏が東京にいたのだ。
 
でもどうしても僕は彼女の恋人になりたかった。
彼女にとって僕は友達以上の存在であることは間違いなかったが、ただ東京の彼氏に会えない寂しさを埋めるためだけの男だったのだろう。
まだ純粋過ぎた10代の僕は自分の立場に途方も無い困惑を覚えていた。
 
そんな中途半端な関係のまま大学生活はじめての夏休みが訪れた。
僕は彼女に会いたくてしょうがなかった。
しかし彼女は彼氏の家に2週間滞在すると言って東京に行ってしまった。
思春期を抜けきらない僕は彼女と東京男のセクシャルな日々を想像してはセンチメンタルに溺れていた。
 
その2週間のダメージがでか過ぎた僕はしだいに彼女と会うことを控え、連絡もあまり返さなくなり季節が変わる頃には完全に関係が途絶えた。
 
ここまで読むと彼女が性悪女みたいに思えるかもしれないけど決してそうではない。
彼女はいつも優しくて、真面目で、決して汚い言葉を使わない僕にとって天使みたいな女の子だった。
 
それから3年経ったいま、そんなことはすっかり忘れてしまっていたが、iPhone のスケジュール管理アプリが今日は彼女の誕生日であることを教えてくれた。
富山から出てきた18歳の少女は名古屋で22歳の女性になったらしい。
 
僕がはじめて彼女の家に行くきっかけになった猫はまだ元気にしているか、一緒に見に行ったオーケストラで僕が寝てしまったことをまだ怒っているのか、サイゼリアのワイン以外のお酒を飲むようになったのか。
 
まだ東京の彼氏とはうまくいっているのか。
 
彼女にあっていろんな話をしたいけどもう無理そうだ。
 
彼女はタバコとチャラチャラした人が嫌いだった。
僕は3年間でタバコを覚えてチャラチャラ遊ぶことを覚えた。
 
そしてなにより彼女は僕のことを優しい人だと言ってくたのに、僕は優しい人ではなくなってしまった。
 
NUMBER GIRL向井秀徳が「女の子を好きになるって言うのは、女の子は天使だって理想を押し付けているだけだ」的なことを言っていたような気がする。
 
女は天使なんかじゃない、女に高望みするなってことが言いたかったんだと思う。
僕もそう思うよ。
でもあの子だけは特別だ。
もう2度と会うことはないと思うけどいつまで経っても僕の天使だ。
 
今更こんな文書を書くのは女々し過ぎて我ながら気持ち悪いとは思うけど全世界に発信してやる。
 
お誕生日おめでとう。
 
今日僕の天使が22歳になったよ。
 

夜のなかばには神様にありがとう

 

昨日ライブがあった。

やっぱりライブは楽しい。
 
ライブがあって飲み会があってそのあと部室で意味なく朝を待つのが今までの当たり前だったけど、昨日は飲み会が終わった後にあっさりと帰った。
 
僕の先輩達は4年生になると飲み会の後にあっさりとかえってしまう人が多かったから、なんとなくそれに習ってみた。
 
数日前スピードワゴンの小沢がツイッターで「しめかたがわからない夜もっと増えますように」ってツイートしてたけど、僕が今まで飲み会の後、素直に帰らなかったのはきっとそういうことなんだと思う。
僕が帰った後に何か楽しいことがあったらどうしよう。
僕が帰った後に残ったメンバーの絆が深まっていたらどうしよう。
そんなことを思っていた。
 
でもそんなことは大抵なくて3時くらいになってやることも話すこともなくなって文字通り朝を待つ時間が訪れる。
それでも僕はあの時間が好きなんだ。
 
僕は大学生らしい行為に憧れを抱いている。
深夜の高速を飛ばして海を見に行くのも、麻雀しながら下品な話をするのも、後先考えずに女の子に溺れるのも、全部かっこいい。
飲み会の後に部室に残るのもその一つ。
 
ジョゼと虎と魚達っていう映画で、妻夫木聡がセフレとセックスをした後に、大学の可愛い女の子とセックスできるかも知れないってすごく嬉しそうに話しているのが若者のすべてって感じがしてとても眩しかった。
 
でも昨日帰ったことはぜんぜん後悔していないくて、むしろ帰ってよかったとも思ってる。
 
きっと僕は少しづつ臆病になったんだと思う。
夜通しクラブでむちゃくちゃに踊るのが怖くなったし、二件目の居酒屋では財布の中身ばかり気にするようになったし、写真に写る時にイキった顔をするのを躊躇うようになった。
 
tofunaetsの水星の歌詞にこんなフレーズがある。
 
君がまだ知らぬ夜があり
僕がまだ知らぬ朝がある
 
僕は夜について十分学んだみたいで、これからは朝起きて静かな気持ちで君を思うような時間を大事にしていけたらなぁって思う。
 
最後にワンダフルボーイズの夜のベイビーって曲の歌詞を載せる。
 
 I wanna be a boy イケてなかったあの頃の僕は looking for you 探してたのさこの夜を
 
それでもやっぱり俺まだ夜好きだよ
 

おやすみプンプンで神様が言っていた《寂しさ》について

先日、元カノに貸していたおやすみプンプンが帰ってきたので10時間くらいかけて一気読みした。
相変わらず凄い漫画だ。
読むのは2回目で大体一年ぶりくらいなんだけど、初めて読んだ時よりいろんな意味で圧倒された。
僕がこの1年でバカみたいに本を読みまくったせいで何となくこういった作品をまともに読めるようになったからだと思う。
まぁマンガの素晴らしさを書きたいわけじゃないから前置きはこれくらいにして本題に入る。
 
2巻の中盤くらいで神様のセリフにこんなものがある、
 
「人が人として生きている以上、絶対に埋められない寂しさがあるよね、」
 
僕はこのセリフを初めて読んだ時にものすごい衝撃を受けた。
この言葉に影響を受けまくった大学生活を送っていると言っても過言ではない。
 
神様はこう続ける
「人がどれだけ求め合っても傷つけ合っても、完全にわかり合えないのだとしたら、一体何を信じてゆけばいいのだろう?なんてね」
 
神様の言う寂しさの正体とは、人と人がわかり合うことの困難だ。
この寂しさを以後《寂しさ》と表記する。
 
ところで野口あや子の短歌に次のようなものがある。
 
私には私の心臓しかなくて駆ければ不作法に鳴るさみしさよ  
 
僕はこの短歌はまさしく《寂しさ》について書かれたものだと思う。
私には私の心臓しかなくて、、
つまり私が理解できるのは私のことだけ、この気だるさも、このウキウキも、このセンチメンタルも全ては私専用のものであって決して誰かが共感できるものではない。
なぜなら僕がどれだけあなたを観察しても、どれだけあなたの言葉を集めても、どれだけあなたの感触を確かめても、それは単なるあなたのアウトプットにしか過ぎないのだ。
たとえ仮にあなたの心を100%完璧に表す言語でそれを僕に告げようと、それはあなたの口、空気、僕の耳を媒介してしまう。
それはもうあなたの心とは別物だろう。
 
ここで言う、あなたとは不特定多数の自分ではない人間のことだ。
 
駆ければ無作法に鳴るさみしさよ、、
そして野口あや子は《寂しさ》からさらに発展する。自分自身の心さえ自由にすることは出来ない身も蓋も無い境地に達するがそこは置いておこう。
 
つまり何が言いたいかと言うと、《寂しさ》ってマジでどうしようないって言うこと。
じゃあいったい何を信じていけばいいんだろなんて考えちゃダメなんだと思う。
だってどうしようもないんだから。
 
でもこの1年でたくさんの本、映画、音楽に触れてきて気付くけど、意外とこの《寂しさ》について書かれた作品は多い。
本当にいろんな作品でいろんな人間が言葉を変えストーリーを変えメロディーを変えて表現している。
みんな《寂しさ》を抱えているんだよ。
 
僕はそんな作品が大好きだ。
とにかくいろんな人の《寂しさ》を読んだり観たり聞いたりしてればそのうちなんかわかる気がするから。
だってどうしようもない《寂しさ》は消すことが出来なくても、紛らわすことなら出来るかもしれないから。
 
っていう心にもない綺麗事でそろそろ終わろうと思う。
 
最後に海援隊の『人として』っていう曲の歌詞を抜粋。

思いのままに生きられず 心に石の礫なげて
自分を苦しめた 愚かさに気付く
私は悲しみ繰り返す そうだ人なんだ
人として人と出会い 人として人に迷い
人として人に傷つき 人として人と別れて
それでも人しか 愛せない
 
神様が言った「人が人として」って部分は難し過ぎて正直よくわかんないけどさ、この曲みたいにもしかしたら《寂しさ》を抱えていることが人が人であるための必要条件の一つなのかなぁ。
 

ブログはじめます

 

最近1人の時間がすごく増えてきている。

僕の大好きな作家の1人である中島らもが『牢屋で痩せるダイエット』というエッセイで言っていたけど、彼曰く教養とは1人で時間を潰せる能力のことらしい。

 

そろそろ僕は暇だから暇してる奴らを集めて酒を飲むといういかにも大学生的な行為から脱却しようと思っている。

大学生になって4年目で酒自体に飽きてきたってのもあるけど、なにより教養のある人間でいたいと思った。

僕は本と映画と音楽が好きで1人の時はもっぱらそのどれかで遊んでるいるわけだけど、それって厳密な意味で1人で時間を潰しているわけでわない。

ただ暇を潰しているだけだ。

中島らもは独房の中で詩を書いたり自分の肉体と向き合ってみたり宗教のメカニズムについて考えてみたり本当の意味で1人で時間をつぶしていた。

 

僕は別に入獄する予定なんてないんだけどさ。

生まれて22年経って今までたくさんの場所、たくさんの作品、たくさんの人に出会った。

それだけの材料があればなんとかなる気がする。

別に中島らもの真似をしなきゃいけない理由もないし、今の自分を否定する必要なんてないんだけど、ただ僕がそうしたいと思った。

 

まあ、ここまではブログを始める理由を適当に今考えて書いてるだけなんだけでぜんぶ嘘なんだけど。

本当のことを言うと友達のブログに感化されて自分もやってみたくなっちゃったてだけなんだ。

 

そんな軽い気持ちで始める僕だけど一応こんなものを書きたいっていうイメージがあって、

22歳になってから社会に出るまでの自分がいったい何を考えて過ごしているのかを書きたい。

 

青春といえばやっぱり高校生のイメージが強いと思う。

でも僕はオレンジデイズだったりハチミツとクローバーだったり今ぼくが立たされているこの期間も紛れも無い青春だって言い張りたい。

社会人になってからは青春なんて言葉絶対に使わないから、この1年だけは思いっきり使わせてほしい。

高校生の楽しかった思い出は永遠に胸の中に残り続けると思う。

でもこの1年間ってそんなときめくこともないだろうし、10代の頃のようなセンチメンタルに襲われることももうないだろうし、なんだか過ぎ去っていく月日を見守るような1年になってしまいそうなんだ。

 

だから僕は文章にしたいと思った。

僕の青春のエンドロールは最高だったよって印を残したい。

 

僕はわりかし承認欲求の強いタイプだからこんな誰も読まないブログでも格好つけていく。

最近知った単語をアピール的に意味なくバンバン使っていくと思う。

昨日の夜書いたラブレターを今日の朝読み返すような気持ちになりたいのだ。

 

ではブログはじめます。